火事のフォビア

1

 それからも僕は一日置きに芽出さんと勿忘草さんと三人で外出した。その間、特に大きな問題は起こらず、僕達は平穏な日々を過せていた。あれから解放運動の人も姿を見せていない。

 芽出さんも勿忘草さんも、一週間で研究所があるビル周辺の地理を大体憶えられたみたいだ。まあ、僕としても憶えてもらわないと困るんだけど。


 そして火曜日、僕にとって大切な日が訪れる。この日だけは芽出さんのお誘いをお断りしなければいけなかった。

 午前九時のカウンセリングが終わった後、日富さんが僕に言う。


「今日は特別な日みたいですね」

「ええ、はい」


 僕はまじめに答える。

 今の僕なら、あの子の助けになれるはずだ。平家穂乃実……僕のフォビアが目覚めるきっかけをくれた女の子。あの子が自分のフォビアを制御する手伝いをする事が、僕の目的の一つ。

 意気込む僕に日富さんは告げる。


「あなたと平家穂乃実の因縁は分かっています。これはまだ正式に決まった訳ではありませんが、あなたに平家穂乃実のフォビアの訓練を任せる案もあります」

「本当ですか!?」


 これは予想外に嬉しい事だ。芽出さんや勿忘草さんのフォビアを克服するために、一緒に行動していた事が評価されたんだろうか?


「はい、本当です。これから忙しくなるかも知れませんよ」


 それは寧ろ望むところだった。ようやく僕のフォビアを研究所で役立てられる時が来たんだ。



 穂乃実ちゃんとの面会は午前十一時だ。あの子は今どうしているだろうかと、僕は心配する。少しはフォビアを扱える様になったんだろうか? それともまだ不安定なままで、薬漬けの毎日を送っているんだろうか……。


 十時五十分に、僕はエレベーターで地下一階に移動した。そして面会室の受付で最終的な許可を受ける。許可と言っても、ここでの「許可」は簡単な本人確認だけなんだけど。


「はい、向日衛さんですね。ちょっと待っていてください」


 受付の男性職員は、内線電話で誰かと話す。


「例の面会者です。向日衛。お願いします」


 誰と話しているんだろうと思いながら、僕は受付前の廊下の片端に置かれた長椅子に腰を下ろして待つ。

 しばらくして、受付の男性職員が僕を呼んだ。


「向日さん、面会室にどうぞ」

「はい」


 僕は緊張しながら面会室のドアを開ける。

 相変わらず、刑務所の面会室みたいな構造の部屋。ガラスの向こうには椅子に座った穂乃実ちゃんがいる。その隣には勿忘草さんが立っていた。

 穂乃実ちゃんが暴走した時には、勿忘草さんが止めてくれるって事なんだろうか?


「こんにちは」


 僕は挨拶しながら勿忘草さんと穂乃実ちゃんに向かって一回ずつ礼をして、椅子に座った。


「こんにちは」


 穂乃実ちゃんは緊張した顔で挨拶を返しながらぺこりと頭を下げる。続いて勿忘草さんも無言で一礼する。

 ……ちょっとの沈黙。面会を希望したのは僕だから、僕の方から話題を提供しないと何も進まない。


「約束通り、また会いに来たよ」

「うん……」


 穂乃実ちゃんは下を向いて答えた。

 あれ……? もしかして約束を憶えてないとか? あの時、穂乃実ちゃんは薬漬けだったから、記憶が曖昧になっているとかあるかも知れない。僕だけが約束を憶えていたとしたら、穂乃実ちゃんにとって僕は全然覚えのない約束を口実に面会に来た、危ない人なのでは?

 ……とにかく話を進めよう。


「穂乃実ちゃん、僕のフォビアは無効化なんだ。もしかしたら君がフォビアを克服する手伝いができるかも知れない」


 穂乃実ちゃんは真っすぐ僕を見詰めている。

 僕の言ってる事、分かってるのかな? もっと分かり易く噛み砕いて言う必要があるかも知れない。


「つまり、その……僕に超能力は効かないんだ。僕がいれば、どんな超能力も無効にできる」


 穂乃実ちゃんは頷いてくれた。「どんな超能力も無効にできる」なんて、大言壮語してしまったけど、この方が伝わり易いだろう。大火事を無効化で消し止めたのは、事実……のはずなんだ。


「だから、安心してくれ。僕が君をフォビアから守る」


 僕は言い切った。言い過ぎかと思ったけど、ためらいを振り切った。


「今度、一緒に外に出よう。約束だ」

「約束……」


 穂乃実ちゃんはこくこくと大きく二度頷いた。その目は力強く輝いている。

 今の言葉が嘘にならない様に、僕は努力し続けないといけない。僕のフォビアは多くの人を助けるためにあるんだ。


「それじゃあ、またね」

「また……」


 僕が席を立つと、穂乃実ちゃんは小さな声で応えた。

 僕は彼女の救いになる。あの時、僕が彼にできなかった事の代わりに。それが僕の罪滅ぼし……。

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