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駅から研究所まで大きな通りを選んで歩けば、仮に迷ったとしてもそこまで遅くはならないだろうという僕の見通しは甘かった。
駅の周辺の道は街の中でも特に入り組んでいる。その様子は
似た様な交差点が縦横に並び、細い小道や脇道も数多くある。大きな交差点を横切るには、地下道を通らなくてはならない場所もある。果たして芽出さんは、地図に無い地下道も無事に通り抜けられるのか?
……結論から言えば無理だった。そもそも地下道が入り組んでいるのだ。素直に真っすぐ進む構造になっていない。進みたい方向に直感的に進めない構造は、問題があると思う。僕も初めて地下道を通った時は、出口を間違えたし。
そんな訳で、芽出さんは地下道の出口を五回ぐらい間違えて、フォビアが発動しかけたところで、僕が止めた。
「芽出さん、落ち着いてください。間違えた場所に出ても引き返さずに、地上を歩いて目的の進路に合流しましょう」
「あっ、そうだね! 向日くん、賢い!」
「僕も最初は迷いましたから」
難所の地下道を抜けると、後は地上を歩くだけ。しかし、もう空が暗くなり始めている。芽出さんが少し不安そうな表情をしたので、僕は励ましの言葉をかけた。
「大丈夫ですよ。僕は道を知ってますから、夜になったら僕が先を歩きます」
芽出さんは小さく頷いて、少し困った顔をした。いつまでも他人に頼ってばかりだと良くないと思っているんだろう。だけど不安そうな顔はしなくなったから、僕はそれで良しとした。
市街地を抜けたのは、もう日が完全に沈んだ後。午後六時ぐらい。まだ真っ暗ではないけれど、街灯の明かりが目立ち始める。
僕達が空き地や田んぼが並ぶ寂しい道路を歩いていた時、どこか遠くで犬の遠吠えが聞こえた。飼い犬か、それとも野犬だろうか?
野犬だったら嫌だなと僕が思っていると、勿忘草さんが言う。
「……向日くん、これはあれですよ。あの……あれのフォビア」
あればっかりで全然分からないけど、「フォビア」だとは理解できた。つまり犬のフォビアって訳だ。暗闇と犬……心当たりは一つ。
「もしかして、あれですか? 何とかハウンド」
「そう、多分それ。あの組織の」
僕も勿忘草さんも、誰かは分かっているんだけど、よく思い出せない。これはフォビアの影響じゃなくて、本当にど忘れしているだけだ。ダークとかブラックとか、そんな感じの名前だった気がする。ハウンドじゃなくてドッグだったかな? 超能力者の集団の一員。……その組織名もうろ覚えだけど。解放委員会だったっけ?
まあそんな事はどうでもいい。とにかく「敵」なら警戒しないと。
無効化のフォビアを使わないといけないかと僕が表情を引き締めると、勿忘草さんが言う。
「ここは私に任せてください。こういうのは得意です」
自信のありそうな声に、僕は困惑する。勿忘草さんのフォビアは、こういう場面でどんな風に役立つんだろうか?
取り敢えず芽出さんに一言注意を促しておかないといけないと、僕は声をかけようとしたけれど、その前に芽出さんが足を止める。僕は芽出さんに尋ねた。
「どうしたんですか?」
真っすぐ前を睨んでいる芽出さん。その十数m先、宵口の暗い道路の端に誰かが立っている。僕達の行く手を塞ぐかの様に。闇に溶け込む様な、暗い色のフード付きコートを着て……。
男性か女性かも分からない。この人が例の犬使いなんだろうか? ただならない空気が場を支配する。
身構える僕と芽出さんに、勿忘草さんは言う。
「麻衣ちゃん、さっさと行こう。向日くんも」
目の前に敵がいるのに? それとも何か対処法があるんだろうか?
勿忘草さんは混乱する僕と芽出さんの手を、片手ずつで強く引いて進む。そのまま三人でコートを着た謎の人物の横を素通り。
「あ、待て」
コートを着た人物は僕達に呼びかけた。低い大人の男性の声だったけれど、迷っているみたいで、全く迫力が無い。
勿忘草さんは足を止めるどころか、歩みを緩める事もせず、完全に無視。僕と芽出さんはコートを着た人物を睨みながら遠ざかる。
コートを着た人物は言葉だけで行動を起こさない。……犬の遠吠えが聞こえなくなっている。一体何だったんだろう?
勿忘草さんは周囲に完全に人の気配が無くなってから、足を止めて手を離した。
僕は勿忘草さんに尋ねずにはいられない。
「何だったんですか?」
「今のは多分、解放運動のブラックハウンド」
答えたのは芽出さん。
多分って事は確証は無いのか? 何がどうなっているのか分からない僕に、芽出さんが説明する。
「レナのフォビアは人の記憶を曖昧にさせるの。敵が私達にフォビアで危害を加えるつもりでも、危害を加えようと思っていた事、それ自体を忘れちゃったら何もできないよね。ブラックハウンドが何をしに姿を現したのか知らないけど、絶対ろくなことじゃないから」
敵対行動をさせないって意味では、勿忘草さんのフォビカは強力だ。凄い能力の持ち主だったんだなと僕は勿忘草さんを見詰める。
当の勿忘草さんは澄ました顔で何も言わない。
それから奇妙な沈黙が訪れる。芽出さんと勿忘草さんは、僕を見詰めている。……な、何事?
僕が動揺していると、芽出さんが言った。
「向日くん、道案内をお願い」
「あ、ああ、はい」
そうだった。二人は帰り道を知らないんだったな。暗くて地図も読めないし。
僕が歩き出すと、芽出さんが飛び付く様に僕の手を取る。まあ暗いから誰に見られる訳でもないし、気にする事はない。
でも、こういう事をされると意識してしまう。……日富さんが誤解するのも仕方がないのかも知れない。
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