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 あれもこれも全部知られてしまったのかと、顔を青くしたり赤くしたり、心の中であたふたしている僕に、日富さんは真顔で言う。


「十中八九、あなたのフォビアは超能力を無効化する能力と見て良いでしょう。発動条件は、あなたが無力感に苛まれる事」


 何となく分っていたけれど……嫌な能力だ。何が嫌かって、僕が無力感に苦しまないと発動しないのが最悪。そもそもフォビア自体が、そういう能力なんだからしょうがないんだけども。

 不満に思っている僕に、日富さんは続けて語った。


「勇悟くん、あなたのフォビアは同じフォビアの人達の救いになるかも知れません。あなたが能力を使いこなせる様になれば……きっと多くの人を助けられるでしょう。副所長もあなたに期待しています」


 上澤さんが僕に期待してくれているというのは分かる。そうでなきゃ、わざわざ僕を勧誘するとは思えない。まさかフォビアなら誰でも誘っている訳じゃないだろう。期待されているからには、応えないといけない。今度こそ、僕は……。

 そう思っていると、日富さんが心配そうな顔をする。


「勇悟くん、私もあなたがフォビアを受容して使いこなせる様になる事を期待していますが、その事ばかりに気を取られて、思い詰めないでください」

「分かっています」


 仮に上手くいかなかったとしても焦るなという事だろうと、僕は理解した。

 でも、日富さんの表情は晴れない。


「……フォビアの能力は、ある日突然失われる事もあります。そういう不安定な力なのです。何があっても、あなたは一人の人間だという事を忘れないでください。フォビアがあなたの全てではありません」


 そう言われても、僕は頷けなかった。僕が今ここにいられるのは、僕がフォビアだからに他ならない。フォビアの能力が無ければ、僕は今も引きこもって腐っていた。

 返事をしない僕を日富さんは追及せずに、ここで話を終わらせる。


「私から言える事は以上です。次は地下の実験室で能力の強さを計測します。また副所長に案内してもらってください」

「はい。ありがとうございました」


 僕は席を立って、深く礼をした。そして退室しようと踵を返すと、日富さんが高い声を出して呼び止める。


「勇悟くん!」

「はい」


 何だろうと思って振り向くと、日富さんは神妙な面持ちをしていた。


「最後に一つだけ。困った事や悩み事があったら、いつでも相談してください。私は多くの人の心を見て来ました。きっと、あなたの力になれると思います」

「ありがとうございます」


 そんな時が来ないのが一番だけど……。

 僕は表面上はお礼を言いながら、内心では本当に日富さんを頼る事は無いだろうと思っていた。何より、これ以上僕の心の中を見られたくない。



 カウンセリングルームから出た僕を、上澤さんが出迎える。


「篤黒くん、君のフォビアは分かったかな?」

「……超能力の無効化らしいです」

「やはりな。私が予想した通りだ。君の能力は私達の助けになるだろう。これから宜しく、篤黒くん」


 上澤さんはそう言いながら、二つ折りの携帯電話を差し出した。僕は一瞬戸惑ったけれど、そっと手を伸ばして受け取る。


「これは……」

「社用携帯だ。私を含めて、何人かの番号は登録済みになっている。肌身離さず持っていてくれ」

「スマートフォンじゃないんですね」


 率直な意見だった。今時なら社用の携帯電話もスマートフォンにしそうだけど。


「余計な機能は無い方が、セキュリティ面で安心できる。欲しかったら、自分で買うんだな」

「欲しいとは思ってませんけど……」

「さて! 次は地下一階の第一実験室に行こう。そこで君の能力の強さを測るぞ」


 上澤さんは強引に話を切り替えた。僕はエレベーターに移動する上澤さんの後を歩きながら、気になる事を質問する。


「能力のって何ですか?」

「強度と効果範囲だ」

「それって実際にフォビアを発動させて測るんでしょうか?」


 日富さんの言う事が正しいなら、僕のフォビアは任意に発動させる事が困難だ。僕が無力感に苦しまなければ、能力は発動しない。当然、僕にとって好ましい状況の訳がなく、実験で嫌な思いはしたくないのが本音だ。

 上澤さんはエレベーターに乗り込みながら、自信に満ちた態度で答えた。


「フッフッフッ、F機関とて伊達に百年以上も超能力の研究を続けている訳ではないよ。生体電磁波を計測すれば、大抵の事は分かる様になっている」

「ははぁ、そうなんですか」


 痛い思いや苦しい思いをしなくて良いみたいで、ちょっと安心。


 僕と上澤さんはエレベーターで地下一階の第一実験室に入る。そこでは白衣を着た男性の研究員が四人集まっていた。入室直後、上澤さんは彼等に呼びかける。


「皆、こっちに来て整列してくれ」


 そして横一列に並んだ四人の研究員の前に僕を立たせた。


「彼が例の新人だ。自己紹介してくれ。小鹿野おがのから」


 上澤さんの指示で、研究員の人達は左から順番に名乗る。


「えー、第一班長の小鹿野です」

「同じく副班長の柾木まさきです」

炭山すみやまです」

くじです」


 一度に言われても、僕の頭じゃ覚え切れない。多分、次に会った時は忘れているだろうな。そう思っていると、上澤さんが付け加える。


「黒縁眼鏡の小鹿野、まじめの柾木、インド大好き炭山、ラッキーマンの籤だ」


 そんな特徴を言われても……。黒縁眼鏡とインド好きは分かるけど、まじめとラッキーマンは分からない。外見的な特徴は黒縁眼鏡だけだし、それも眼鏡を外していたら無意味だぞ。

 取り敢えず、黒縁眼鏡をかけているのが班長の小鹿野さんで、色黒で大柄なのが炭山さん、一番若そうなのが籤さんで、消去法で残ったのが副班長の柾木さんと憶えておこう。

 上澤さんは二度手を叩いて、四人の研究員に指示する。


「さ、顔合わせはこれで良かろう。小鹿野、準備はできているな?」

「はい、いつでも始められます」

「良し。では、篤黒くんは向こうの大きな椅子に座ってくれ」


 僕は上澤さんに言われるまま、白い大型のリクライニングチェアみたいな椅子に座った。そうすると柾木さんが僕の前に来て、いくつか質問をする。


「体に不調はありませんか?」

「はい、特にありません」

「それでは、背もたれに寄りかかって、力を抜いてリラックスしてください。バンドを着けます」


 柾木さんはコードの付いた電極バンドを、僕の頭部と胸部に巻く。同様に両手首にもバンドを巻いて、僕は椅子に拘束された。炭山さんはバンドから伸びるコードと繋がった、何の装置だかよく分からない大型の機械を弄っている。そして小鹿野さんと籤さんは、二人で数値の出力されるモニターを見詰めている。


「計測開始します」

「了解」


 炭山さんの合図に、籤さんが応える。今のところ僕の体には、これと言った変化は起こっていない。痛いとか痺れるとか、そういう事は一切ない。

 小鹿野さんが籤さんに尋ねる。


「脳波は?」

「至って標準的です。異常な点は見当たりません」

「これは……潜伏型みたいだな。柾木、投薬できるか?」


 小鹿野さんに呼ばれた柾木さんは、僕に問う。


「篤黒くん、これから少量の興奮剤を使用します。心臓や血管に持病があったりはしませんか?」

「はい」

「お茶やコーヒーを飲んで気分が悪くなった事は?」

「ありません」

「では、これから興奮剤を注射します」

「えっ」


 僕は注射が好きじゃない。いや、注射が好きな人なんかいないだろうけど。できる事なら注射針を刺すのはやめて欲しい。

 不安な顔をする僕に、柾木さんは言う。


「できるだけ痛くない様にしますから」

「あっ、そうですか……」


 絶対嘘だよ。痛くないって言って、実際に痛くなかった事なんかないからね。


「興奮剤ですから、注射後に心臓がドキドキしたり、体が熱くなって汗をかいたり、頭の中がカーッとなったりします。それで苦しくなったり、気分が悪くなった時は、我慢せずに言ってください」

「分かりました」


 僕は興奮剤を注射される前から、不安と緊張でドキドキしていた。

 柾木さんは僕から離れて、注射器を持って戻って来る。どうみても太い、そして針が長い。痛くないと言われても信用できない。

 注射器の先端が僕の腕に突き刺さる……けど、確かに痛みはない。不思議だ。


「一分ぐらいで効果が表れると思います。リラックスして待っていてください」


 それから三十秒後に、僕は少し落ち着かない気持ちになって来た。心臓の脈動が大きくなっている。心臓が僕の意思とは無関係に暴れているみたいだ。汗こそかかないけれど、呼吸が少し荒くなる。


「どうですか?」

「ちょっと、ドキドキして息が苦しいです」


 柾木さんの問いかけに、僕は正直に答えた。それを受けて、柾木さんは言う。


「呼吸を抑えようとせずに、吸って吐いてを落ち着くまで繰り返してください。興奮剤の作用は、そう長くは続かないはずです」


 僕にそう教えてくれた柾木さんは、今度は小鹿野さんに尋ねる。


「小鹿野さん、どうですか? 何か変化は?」

「少し上昇しているな」


 その会話を聞き流しながら、僕は不快な気分になっていた。脈も呼吸も少しずつ激しさを増している。この感覚は何かに似ている……。

 そうだ、あの時だ。彼が僕の目の前に落ちた時……。僕は無残な彼の死体をただ見詰めていた。もう何もかも遅かった。僕にできる事は何も無かった。


「脳波が増大しています」

「出たな」


 籤さんと小鹿野さんの、いやに落ち着いた声が耳に入る。それとは対照的に、柾木さんは僕を心配してくれる。


「大丈夫か、篤黒くん? 耐えられないなら言ってくれ」


 僕は返事をする余裕が無い。耐えられるか耐えられないかで言うなら、耐えられない訳じゃない。とても苦しくて嫌な気分だけれど、安易に楽を求めて逃れるべきじゃないと思う。これは僕に与えられた罰だ。これしきで僕の罪が許されるとは思わないけれど、この苦しみは僕が彼の事を忘れていない証拠だ。


「篤黒くん、何とか言ってくれ。耐えられないなら中止しよう」


 僕が返事をしないから、柾木さんは改めて呼びかけて来る。


「大丈夫……大丈夫です」


 僕は荒れる息を整えて、弱々しい声で喉から言葉を絞り出す。やがて動悸が落ち着いて、僕の心は少しずつ平静を取り戻す。

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