問題児

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 九月、そろそろ僕は穂乃実ちゃん以外のフォビアの子供達の訓練も手伝える様になって来た。柊くん、荒風さん、小暮ちゃんの三人は、しばらく増伏さんのもとで訓練していただけあって、ある程度のフォビアの制御はできていた。

 柊くんはサングラスをかけて厚着をしていれば日中の強い日射しを浴びても多少は平気だったから、他の二人と一緒に四人で外出する練習もした。そこに穂乃実ちゃんも加えて、五人で一緒に出歩いた事もある。


 僕の無効化のフォビアは、こういうフォビアの扱いが未熟な人達に最も必要とされていた。

 勿忘草さんのフォビアは一時的な恐怖を忘れさせる事はできるけれど、長時間の現象に対する恐怖には対応できない。灰鶴さんみたいに虫嫌いであれば、虫をどうにかしてから「虫を見た」という事実を忘れさせれば良い。でも倉石さんみたいに暗闇が怖い場合は、そんな風にはできない。「夜の暗闇」なんかはどうしようもないんだ。

 僕の場合は逆に、怖い思いをした事実は忘れさせられないけれど、フォビアを打ち消す事はできる。恐怖する事でフォビアが発生して悪循環に陥るんだから、まずその連鎖を断つ必要がある。

 もしフォビアが暴走しても他人を巻き込まないと分かっていれば、「フォビア」に対する恐怖は抑えられる。これがフォビアの克服には重要なんだ。



 ある日、僕は地下室にいる新しいフォビアの人の訓練を担当する事になった。その人の名前は開道かいどうばく。中学二年生らしい。

 フォビアは背後恐怖症。診断書の解説によると、背後に何もない空間があると落ち着かない、背後に誰かいる気がして怖い、知らない人が背後にいるのが怖い……という恐怖症らしい。


 僕は地下二階の保護室の前まで、開道くんを迎えに行く事になった。まだ能力の制御ができないから、外に連れ出すのも大変らしい。

 保護室の中は寮と余り変わらない。それなりに広い部屋で、日常生活に必要な物は一通り揃っている。違いがあるとすれば、日常生活を徹底的に「管理」されているという点だろう。食事は運ばれて来るし、掃除もしてもらえる。だけど……そこには自由が無い。


 僕が保護室に入ると、開道くんは壁に背中を擦り付けながら、忍者みたいに移動して来た。僕は少し驚きながらも開道くんに挨拶する。


「初めまして、向日衛です。宜しく」

「……開道です」


 開道くんはぶっきらぼうな態度で応える。

 初対面で緊張しているのかな? そう思った瞬間、僕は背後に人の気配を感じて、振り返った。でも、そこには何も無い。

 気のせいか……? いや、違うな。これはフォビアだ!

 僕は背後のぞわぞわする不快感を敢えて無視して、開道くんを注視するけど、彼に怯えた様子はない。寧ろ、人を見下した感じの嫌な笑いを浮かべている。

 こいつ……わざとなのか? 実は能力の制御ができているのに、わざと他人を巻き込んでいる?

 フォビアの根本は恐怖の伝播だ。推測だけど、開道は壁に背中を預けている間は、恐怖を感じていない。それなのに僕に恐怖症の感覚を与えられるという事は、意識してフォビアを扱えている証拠だ。

 開道はフォビアを制御できない振りをして、人を困らせて楽しんでいる。いわゆる問題児って奴だ。だから僕が担当に選ばれたって訳か……。


 僕は開道の態度に怒りを感じていた。

 あれは……あれは彼を、アキラを追い詰めた転校生と同じ顔だ。人を見下して何が面白い!

 僕の中で無力感と後悔と同時に、それを上回る大きな怒りが湧き上がる。僕は初めて怒りの心でフォビアを使う。もう背後は全く気にならない。

 僕が開道を睨み付けて前進すると、開道は瞬く間に余裕を失って青ざめる。


「ど、どうして……」

「僕のフォビアは無効化だ。君のフォビアは効かない」

「来るな、人を呼ぶぞ」

「呼べば良い。だけど、その前に聞かせてくれ。何が面白くて、フォビアで悪戯いたずらばかりしてたんだ?」


 開道は僕と目を合わせようともしない。答える気が無いんだろうか?


「このままだと君は一生、この地下で暮らす事になるぞ」


 本当は一生じゃなくて、どこかの段階でフォビアを失うんだろうけど。

 開道は口元だけを歪めてにやりと笑った。


「フォビアを使って何が悪い! 俺を笑った奴等、全員に俺の苦しみを分からせてやるんだ」

「……そんな事を考えていたのか?」

「そのための力じゃないのか? 苦しみを分かち合うって、悪い事なのか? あんただって俺を見て笑っただろう」


 開道は皮肉めいた半笑いで僕を見る。とんでもなく卑屈だ。捻くれている。


「そんなの、何も知らない人には迷惑なだけだ。嫌な気分を共有して、その先に何があるって言うんだ?」

「平和は理解の先にあるんだって、俺が通ってた学校の先生は言ってたよ」

「だったら君も他人の苦しみを受け取る覚悟があるのか?」


 僕はまじめに問いかける。

 開道は予想外だったみたいで、驚いた顔をして硬直していた。


「そんな風に言うんだったら教えてくれよ。君の体験した事を。何をされたのか言ってみなよ。どうしてフォビアに目覚めたのか」


 僕は本気だった。彼の苦しみの根源を知りたい。興味本位じゃなくて、彼の心を知るために。

 開道は拗ねた様に拒否する。


「……嫌だ」

「僕に苦しみを分からせてくれるんじゃなかったのか? この期に及んで恥ずかしいから言えないってのか?」


 僕は開道を問い詰めたけど、知られたくないという気持ちも分からなくはない。

 僕だって自分の過去は知られたくない。だけど……だけど。理解が平和をもたらすのなら。


「僕が信用できないなら、僕の過去を教えよう。それが対等って事だ」

「嫌だ」

「君はフォビアを使って、僕に君の苦しみを分け与えた。だから、君も僕の苦しみを受け取ってくれるだろう?」

「い、嫌だ、やめろ!」


 大声で拒絶されて、僕は小さな息を吐く。

 まあ、話さなくても良いなら話さないよ。結局のところ、開道くんには他人の苦しみまで背負う覚悟なんか無かったんだ。


「それじゃあ、もう自分の苦しみを他人に押し付けるのはやめるんだな」


 開道くんは俯いて黙り込んでしまった。

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