炎は東へ

1

 モーニングスター博士が死亡してから二週間が経った。エンピリアンが動き出すという事もなく、僕は落ち着かない気分で日々を過ごしている。

 そもそも神を目指していたモーニングスター博士が、どうして僕達の前に姿を現したんだろうか? そこが分からない。勝手に神にでも何でもなれば良いだろうに。

 世の中に迷惑をかけないといけない決まりでもあるんだろうか? それとも……僕が連中の脅威になるから?

 僕はカウンセリングの時間に、その事を日富さんに相談してみた。


「モーニングスター博士が現れた理由? 私には分かりませんね……」


 日富さんは真剣な顔で答えた。


「心を読んだ時に何か……」

「いいえ、そこまでは」


 ちょっと重苦しい間があって、日富さんは改めて切り出す。


「安易な予測ですが、やはり向日くんの無力化のフォビアを警戒したのではないでしょうか?」

「どうして僕を警戒しないといけないんでしょう?」

「神になるのを妨害される可能性があると感じていたんでしょう。だから、仲間に引き込もうとした」

「どうして僕が妨害しないといけないんですか?」

「きっと良からぬ事を企んでいる自覚があったんでしょうね」


 エンピリアンは神になって何しようとしている? モーニングスター博士は理想の世界を創るみたいな事を言っていた。完全なる善の世界を創って、この苦痛と不条理に満ちた世界の救世主になると。

 それがエンピリアンの共通の理想なんだろうか? 本当に神にも等しい独裁者になろうとしている? 小さな国でなら、そういう事ができるかも知れないけれど……。もし世界中を変えようとしているなら、やっぱり止めないといけないと思う。

 人は完璧な存在にはなれない。誰もが絶対的な幸福を手に入れて幸せになれるとは思えない。より幸福な他人と比べて、相対的な幸福を気にしてしまうと、不平等な幸福への恨みが生まれる。その恨みが不幸を呼び込むんだ。

 エンピリアンは神様や仏様みたいに、世界中の人間を悟らせる事ができるのか?

 僕はそうは思わない。それにモーニングスター博士は、選ばれた人間だけが神に近付けると言っていた。

 エンピリアンが目指す先は、どっちなんだろう? 自分達だけの小さな国を創ろうとしているのか、それとも世界中を巻き込んで選別を行おうとしているのか……。

 どうも後者の様な気がしてならない。



 カウンセリングが終わった後、僕は上澤さんに副所長室に呼び出された。


「向日くん、言い難い事なんだが……囮になる気はないか?」

「囮って、何をするんですか?」

「難しい事は何も無い。ただ外出するだけだ。エンピリアンの何人かは日本国内に潜伏していると思われる。しかし、誰がエンピリアンかは分からない。このままお互いに様子見では千日手だ。今の状況が長く続くのは好ましくない。だから、状況を変えるために打って出る」


 しょうがないのかなと僕は思った。危険な事は嫌だけれど、上澤さんの言う通り、このままじゃ解放運動の連中がのさばっていた時と同じだ。

 上澤さんは続ける。


「連中が君を危険視しているなら、必ずリアクションを見せる。必ず――」


 ところが、話の途中で上澤さんのスマートフォンが鳴った。ヴィヴァルディの四季が小音量で流れる。


「何だ、こんな時に……。公安?」


 上澤さんは文句を言いながら、通話に応じる。


「上澤です。どうかしましたか?」


 相手の話が長いのか、上澤さんは言葉少なに相槌を打つだけになる。


「はい。……はい、分かりました」


 そして通話が終わると、僕に向き直った。


「H駅周辺で原因不明の火災が発生した。先手を打たれてしまった様だ」

「先手って……」

「エンピリアンの連中も気長に待っているつもりはないらしい。向日くん、すぐに出動してくれ」

「今から?」

「そうだよ。急いでくれ」


 まだ心の準備もできないまま、僕は火災の現場に向かわされる。駅の近くまで車を運転するのは真桑さんだ。


「宜しく頼むよ、向日くん」

「……はい」

「浮かない顔だな。俺は頼りないか」

「まあ、不安ではあります」

「正直な感想をありがとう。及ばずながら力になろう」


 謙遜しているのか、当て付けているのか、真桑さんの言葉に僕は苦笑いで応じる。

 それから深呼吸を一つ。気合を入れ直そう。後ろ向きな気持ちは忘れて、今は目の前の事だけを考えて対処する。

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