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 アリーナの観客達もそれぞれに自分と関係のある死者の姿を見ているらしかった。失った家族と感動の対面を果たしている人達もいれば、中には必死に罪を懺悔して、神に許しを乞う人達もいる。

 僕は……取り敢えずフォビアを発動させようとした。だけど……。


「勇悟、久し振り」


 幻影のアキラが僕に話しかけて来る。僕は彼を無視できない。


「君の事はあの世で見ていたよ」

「……本当か?」

「ああ、僕はもう君の事を恨んでいない。その事を伝えたかった」


 アキラの優しい言葉に、僕は二度首を横に振る。

 これは幻覚だ。本物のアキラじゃない。僕は僕に都合の好いアキラを、誰かのフォビアを通じて現実に投影させているだけだ。


「教えてくれ。どうして死んだんだ?」

「どうして……? そんな事はもう良いじゃないか」

「良くはない。本物のアキラなら言ってくれ。あの時、屋上で何があったのか、何を思っていたのか……。それに多倶知も」

「俺?」


 アキラも多倶知も惚けた顔をしている。恨みも憎しみも後悔も忘れて、まるで悟りを開いたみたいだ。


「多倶知、あの時に何を言いかけていたんだ?」

「今更そんな事を知って何になる? 高次元の存在にアセンションした魂に、過去への未練や穢れた心は不要なんだ」


 二人は正面から答えようとしない。

 ……答えられる訳がないさ。だって、これは僕の心が生み出した幻影なんだから。僕の知らない事には答えられない。当然だよな。

 僕は安心すると同時に、がっかりもしていた。フォビアで生きている人間の記憶や知識を繋ぎ合わせても、死者の魂には届かないんだ。そもそも、そんな物はこの世に存在しないんだから。

 これ以上は死者への冒涜になる。僕はフォビアを使う決意をした。

 僕の周りの幻影は少しずつ形を失って行く。


「また俺達を殺すのか……」


 その途中で、誰の物とも分からない抗議の声が僕の耳に届いた。

 幻覚の分際で何を言ってるんだか……。僕の心は少し傷付いたけれど、こんなのは掠り傷だ。死んだ人間は生き返らない。だからこそ命は尊くて、僕は絶望したんだ。今更こんな事で惑わされたりはしない。

 僕は周りのフォビアを打ち消して、真っすぐステージの上を睨む。フォビアを使っているのはどいつだ?

 僕はステージに向かって歩き出した。


 僕が移動すると、フォビアが無効化される範囲も移動する。いきなり死者の幻影が消えた事に、周りの人は驚いていた。

 でも、今は他の人の事まで気にかけている余裕はない。ステージ上の二人のボーカリストは相も変わらず、よく分からない呪文の詠唱を続けている。いや、連中にとっては呪文じゃなくて聖歌か?

 僕がステージに近付いても、止めにかかる人はいない。本来なら僕を止めるべき、アリーナの警備員の人達も、死者の幻影を見ているんだろう。


 自分達の演奏に陶酔しているバンドのメンバーの中で、最初に僕の存在に気付いたのはヨハネだった。


「何だ、お前? 今日はライブ! 邪魔をするなYO!!」


 律儀にもリズムに乗って、僕を指差しながら威嚇する。


「詐欺師共め! こんな茶番、ここで止めてやる!」


 僕もリズムに乗って反論した。これじゃ、まるでラップバトルみたいだ……。

 ヨハネはマイクを僕に投げてよこすと、新たに自分用のマイクを取り出す。


「お前、どこの誰だ! まずは名前名乗れYO!!」


 本気でラップバトルをする気なのか?? 僕は相手のペースに乗せられない様に気を付けて、フォビアを意識しながらステージを移動する。まさか、ここで本名を名乗る訳にはいかない。僕は有名でも何でもないから、「誰だよ」で終わってしまう。

 こういう時に聖書では……そう、エゼキエル書だ。偽預言者と呪術を信じるな。


「俺はエゼキエルの使徒だ! お前達を討つ! 覚悟しろよ、偽預言者! 俺が罪を裁く!」


 ――アリーナ中がシーンと静まり返った。

 何が起こったのかと、僕はステージ上から観客席を見回して、心の中で焦る。

 ……ああ、幻覚が全て消えたんだ。つまり? このステージの上で誰かがフォビアを使っていた?

 僕はステージにいるバンドのメンバーを一人一人睨み付ける。誰だ? 誰がフォビアを使っていた?


「やれるならば、やってみせろ! エゼキエルの使徒! お前こそが偽預言者、悪の手先だ!」


 ヨハネが叫ぶと、観客達が一斉に親指を下に向けて、僕に向かって激しいブーイングを浴びせる。バンドのメンバーは再び演奏を始めて、会場を盛り上げる。

 ……余り時間はかけられない。上澤さんの言葉を信じるなら、こいつ等はフォビアを持っていない。でも、ステージの周りには他に人がいない。

 ステージの下に隠れている? いや、それならアリーナを監視している公安の人が見付けるはずだ。公安の人はテロ抑止という名目で、昨日から張り付いている。


「お前ごとき、何ができる! 悪の手先YO! 悪は神に勝てぬ運命さだめ! 早く失せろNow!」


 ヨハネは僕を挑発するけど、そんな言葉を僕が聞き入れる訳もない。

 フォビアは人が使っているとは限らない。ストーンショルダラーみたいに子供の脳を瓶詰にしている可能性もある。ステージ上で何かを隠せそうな場所は……。

 ギター? コンポーザー? 違う……。オーディオ? これも違う……。ドラム? 

 ドラム、これだ!!!!

 僕は確信した。あれの中に入っているんだ! ドラムを打ち鳴らす音がフォビアを発動させる合図になっているに違いない!

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