3

 そして翌日の朝、いつも通りに過ごして午前十時ちょっと前……ここまで誰からも何の連絡も無かった。

 これは予想外。逆に不安になる。試されているのか、呆れられてしまったのか?

 どちらにしても何もしない訳にはいかない。本当はちゃんと誰かがフォローしてくれる確約が欲しかったんだけど、自分の事は自分で責任を取れという事なんだろう。他人に甘えてばかりはいられない。


 僕は手提げのビジネスバッグを持って自分の部屋から出ると、三階の事務所に外出届を提出しに行った。外出の理由の欄には、正直に「ブレインウォッシャーに会いに行く」とは書けないから、適当に「買い出し」と書いておいた。

 そのまま一階に降りてビルの外に出た僕は、パーカーのフードを目深に被り、一人で北中学校に向かう。

 ……誰も付いて来る様子は無い。僕は周囲を警戒しながらバスに乗って、北中前で降りた。そして校門の門柱でブレインウォッシャーの到着を待つ。

 もしかしたら僕より先に来て、誰もいなかったから帰ったのかも知れないけれど、まあ擦れ違いになったんなら、その時はその時だ。大人しく帰ろう。そもそもブログに送ったメッセージを読んでいないかも知れない。


 いや待てよ……? 奴に送ったメッセージには「北中」と「明日」としか……時間を指定し忘れた!? しまったぁぁああ!!


 僕は愕然としてその場に座り込んで、小さく溜息を吐いた。……はぁ、もう過ぎた事はしょうがない。来なかったら来なかったで、それでもいい。取り敢えず待とう。もう一度溜息を吐いて、顔を上げる。


 僕の視線は自然に北中の校舎の屋上へと向く。そこに人影を見付けて、僕はぎょっとした。

 ……いや、数人の生徒がフェンスにもたれかかって話しているだけだ。昼休憩によくある風景に過ぎない。校庭ではサッカーをして遊んでいる男子のグループがいる。

 ありふれた中学校の日常。僕は去年の今頃の事を思い浮かべて、深い溜息を吐く。もう彼は学校に来なくなっていた。それなのに僕は何食わぬ顔で、いつもと同じ日々を送っていた。彼の気持ちも知らずに、罪深い……。


 過去ばかり思っていても気持ちが落ち込むだけで何にもならないと、僕は首を横に振って、また下がっていた視線を上げ直す。

 その時、僕に向かって歩いて来る人の気配に気付いた。

 スポーツキャップ、ジャージ、ランニングシューズと、いかにもウォーキングしている風な格好の男性。身長は僕より少し高いぐらい。

 僕の数m手前で止まった男は、間を置かずに問いかけて来る。


「俺を呼び出したのは、あんたか?」


 僕はフードの下で小さく笑った。ちゃんと来てくれて、ちょっと安心もしている。


「多倶知だな?」

「あんた、何者なんだ?」


 まだ僕の正体に気付かない多倶知に、僕は顔を上げてフードを剥いで見せた。

 だけど、多倶知はきょとんとした顔をしている。


「……誰だ?」

「察しは付くだろう?」

「同じクラスだった奴か? 悪いけど全員記憶してる訳じゃないんだ」


 腹が立つけど、中学校時代の僕なんか眼中に無かったって事か……。それなら!


「中椎アキラって覚えてるか?」

「いや全然。誰だ? そんな奴、クラスにいたか?」


 僕は怒りで冷静さを失いかけていた。信じられなかった。自分が自殺に追い込んだ人の名前も憶えてないのか? こいつにとっては人が一人死のうが、どうでもいい事だったのか?


「お前が殺した生徒の名前だ」

「俺が? ああ、もしかして……卒業式の日に飛び降りた奴か? 確か、そんな感じの名前だった様な……。それで、あんたは誰なんだよ? そいつの兄弟とか?」

「罪悪感は無いのか?」

「そんな事を言われてもな。勝手に死んだ奴なんか」


 僕は堪らず多倶知の胸座むなぐらに掴みかかった。


「この野郎!」


 多倶知は驚いた顔をしている。でも、すぐに余裕を取り戻して嫌味に笑った。


「やめろよ」


 洗脳すればどうにでもなるという余裕からか、多倶知は本気で抵抗しない。

 だけど、僕に超能力は通用しないぞ。


「来い」


 僕は多倶知の服を引っ張って、学校の敷地を囲うフェンスの外側をぐるりと回り、校舎の裏手に連れ込んだ。フェンスを挟んで向こう側は校舎と物置に挟まれて、人の目が届かない。胸が締め付けられる様で、嫌な気分になる。

 僕は多倶知に問いかける。


「思い出さないか?」

「何を?」

「中椎アキラは、よくここで虐められていた」

「虐めていたのは俺じゃないし、知らないよ」

「知らないはずはない。お前はいつも校舎の三階の窓から見下ろしていた。全部お前の指示だった」


 忘れられない。こいつはアキラが虐められている場面を見下ろして、邪悪な笑みを浮かべていた。絶対に忘れない!


「見て来た様に言うんだな」

「見ていたさ」

「……本当に誰なんだ?」

「自分で思い出せよ」

「だったら言わせてみせようか」


 多倶知は僕を見る。超能力を使おうとしているな?

 だけど、一秒、二秒、三秒……何秒経っても何も起こらない。僕はこいつの言いなりにだけはならない。絶対に。

 僕は拳を固く握って、力の限り多倶知の顔面を殴り付けた。顎を目がけて全力の右フック。

 予想外の攻撃を食らった多倶知は、よろめきながら目を白黒させている。


「つまらない事を考えるな。お前の超能力は効かない。多倶知選証……いやブレインウォッシャー、超能力解放運動」

「な、何……!」

「どうして超能力解放運動に加わった? 答えろ」

「お前は何者なんだ?」

「向日衛、F機関の人間だ」


 自分の不利を悟ったのか、多倶知は意外にも腕尽くでは抵抗せずに言葉で返した。


「へえ、国家の犬か! お前は何も知らずに機関の言いなりになってるのか? それとも全部知っていながら、そっち側にいるのか? どっちにしてもおめでたい奴だ」

「どういう意味だ?」

「俺が解放運動にいるのは復讐のためだ」

「復讐? お前が?」

「その様子だと知らないみたいだな。俺は国によって計画的に生み出された超能力者なんだよ」

「そんな話を信じるとでも?」

「信じるのも信じないのも勝手だけどな、俺だって昔は普通の生活をしていたんだ。十年前までは!」


 多倶知の怒りは演技には思えない。僕は黙って話の続きを聞いた。


「俺は普通の家庭で普通に育った。両親は俺を愛してくれていたし、俺も両親を愛していた。それなのに! 十年前、俺の家に見ず知らずの連中が乗り込んで来て、俺の家を支配した。O市一家乗っ取り事件って知ってるか? 何を隠そう、その被害者がこの俺だ。二年前、事件が明るみになってようやく解放された俺は、生まれ故郷を離れてこの中学校に転校させられた」

「それがどうして国の計画になるんだ?」

「俺の父親は市役所の人事担当だった。市の財政悪化でリストラする奴を選ばざるを得なくて、二十人ぐらいの首を切った。優しい人だったから、そこに付け込まれた」

「だから、どうして――」

「黙って聞けよ」


 僕は多倶知の話を信じられないでいる。

 事件は本当にあったんだろうか? 国の陰謀って何だ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る