5

 ルーシーとヘスペリアは姉妹でありながら、根本的なところで、どうしようもなく擦れ違っていたんだろう。何としても家族を取り戻したかったルーシーと、日常に留まっていたかったヘスペリアと。

 だけど、ヘスペリアもルーシーを見放す事はしなかった。そうしようと思えばできたはずなのに。それは世間体のためなんだろうか? それともの身を案じての事だろうか?

 どちらでもあるんだろう。だからヘスペリアは、そういう「人を縛る物」から解放されたかった。世間からも家族という関係からも。

 でも、ルーシーは変わらずヘスペリアを大事な妹だと思っていた。その思いは一方通行だったけれども。

 天国の最後は姉妹喧嘩でお終いか……。何とも締まらない結末だ。


「ごめんね、ごめんね……」

「遅いんだよぉ! ボケぇ……!」


 謝り続けるルーシーに、喚き続けるヘスペリア。という意味では、これが正しい関係なのかも知れない。


 十分か、二十分か、三十分か……それとも一時間? 時間の失われた天国では分からないけれど、とにかく少し退屈になるくらい長い時間の後、ルーシーとヘスペリアは沈黙した。

 僕は押さえ付けていたルーシーを放して自由にしてやると、慎重に二人の様子を窺いながら、ゆっくりと話しかけた。


「そろそろ現実に帰る時だ」


 ルーシーは僕を見上げて、心配そうに問いかけて来る。


「私達は……ヘシーはどうなりますか?」

「そんな事を聞かれても……」

「私はどうなっても構いません。ヘシーだけは助けてください」


 いや、本当に今更そんな事を言われても……。僕だって二人を哀れむ気持ちが無い訳じゃないんだけど、僕には人の罪の重さを決める権限なんか無い訳で。仮にあったとしても、全くの無罪にはできないだろうし。

 僕が困惑していると、ヘスペリアが再び声を上げた。


「重いんだよ! そういうのをやめろって言ってるの!! 分かってよ!!」

「でも……」

「自分の事は自分で何とかするから!」


 また二人の間で口論が始まりそうだったので、僕は小さく溜息を吐いて、横から話に割り込む。


「取り敢えず、ヘスペリアさんはそこから降りてもらって」


 ヘスペリアは不服そうな顔をしながらも、ゆっくりと高御座から降りた。そして泣き崩れているルーシーの肩を叩いて、立ち上がらせる。

 僕は改めて二人に話しかけた。


「結局のところ、誰一人として天国に相応しい人間はいなかったって事だ」


 誰もが天国に憧れながら、地上での思いを完全には捨て切れなかった。人間に天国は早かったんだ。

 僕は気落ちしているルーシーとヘスペリアに呼びかける。


「行こう。もうすぐ天国は失われる。人間の生活に戻るんだ」


 二人は僕の後に付いて宮殿を出る。


 二重橋に差しかかると、ジョゼ・スガワラが堀の水面を眺めて立っていた。ジョゼは僕達が近付いているのに気付くと、振り向いて問いかける。


「終わりか」

「はい」


 僕は頷いて短く答える。

 既に天国を覆っている神聖な雰囲気は失われ始めていて、その代わりに奇妙な寂しさが漂って来る。


「取り敢えず、飯田橋まで歩きましょう」


 皇居を出た僕達は、北に向かって歩き始める。


 道端には多くの人が正体もなく寝転がっている。猫や小鳥の姿から元の人間の姿に戻ったんだろう。誰も彼も寝顔は安らかだ。目覚めれば、現実が待っている事も知らないで……。



 九段下駅の近くまで来ると、真桑さんとウサギさん、それに小館真名武の三人が僕達を迎えに来ていた。

 エンピリアンの五人はお互いに気まずい顔で、声をかけ合う事もしない。


「終わりましたよ」


 僕が真桑さんに告げると、真桑さんは深く頷く。


「ありがとう……。そこら中に人が倒れていて、車が通れないんだ。悪いけど、飯田橋まで歩いてくれ」

「はい」


 僕は胸を張って、深い深い溜息を一つ吐き出した。疲れと言うよりも、大きな仕事が一つ終わった安心感が大きい。


「お疲れさん」

「ようやく終わりました。長かった」


 これで日本の将来は安泰――って訳でもない。これからも国内外の超能力者との戦いは続くだろう。だけど、これ以上の大規模な超能力者との戦いは、そうそう無いと思う……思いたい。


 僕達は六人で改めて飯田橋に向かう。

 道中、警察の人が真桑さんに近付いて、あれこれと話をした。どうやら応援が必要かどうか聞いているみたいだ。

 真桑さんは「C課で片付ける」と答えて、応援を断った。

 話が終わった後、僕は真桑さんに問いかける。


「エンピリアンの人達はどうなりますか?」

「いくつか案があるが、そもそも警察の手には負えないという声が大きい。まとめてF機関で預かってもらう事になるかも知れない」

「そうなんですか……」

「疑似的な禁固刑だな。それと司法取引があるかも知れない」

「それって……半礼政狼ですか?」

「ああ。上の方は今回の件について、内乱罪で起訴できないかと考えているらしい。上手く行けば、完全にP3を終わらせられるぞ」


 全ての元凶だったP3が今度こそ終わるかも知れない。それは僕にとっては朗報だけれど……。

 僕はウサギさんの様子を盗み見た。父親が罪に問われる事を、本心ではどう思っているんだろう?

 ウサギさんは俯き加減で、悩ましそうな顔をしている。


「ウサギさん……」

「どうした?」

「いえ、その……お父さんの事で何か……」

「俺は何も。親父がどうなろうと、別に」

「本当に?」

「全く何とも思わない訳じゃないけど。ああいう人だから、俺がどうこう言ったってしょうがない」


 ウサギさんの表情は、どこか寂しそうだった。



 そして飯田橋に着いた僕達は、二台の乗用車でS県のウエフジ研究所に戻る。一台は真桑さんが、もう一台は一条府道さんが運転する。ウサギさんとモーニングスター姉妹は一条府道さんの車に、僕とジョセ・スガワラと小館真名武は真桑さんの車にそれぞれ乗った。

 大きなトラブルも無く、僕達は無事にウエフジ研究所に帰り着く。

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