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 午前十時にシモン・ピエール一行は関西国際空港に向かって出発した。

 このまま出国するつもりなんだろう。アポカリプス・アポストルスの第一の使徒は退けた……と思って良いんだろうか? それはまだ分からない。

 僕と浅戸さんは、シモン・ピエール一行が完全に出国するまで、警戒を解かない。N県N市から関西国際空港まで、三十分遅れで連中の後を追う様に移動する。


 午後三時、関西国際空港にて、シモン・ピエール一行は何事もなく出国した。僕と浅戸さんは空港から発つ飛行機を敷地外の道路から見送りながら、小さく息を吐く。


「これで一難は去った訳だ。お疲れ様だな、向日くん」

「はい。でも……」


 僕は北海道の隕石の事が気懸かりだった。あれはフォビアじゃない。そう何度も結論付けたはずだけれど、どうしても引っかかる。


「そうだな、まだ終わりじゃない。使徒は残っている。次に連中が行動を起こすのは公現日か、灰の水曜日か……。とにかく年末はゆっくり休んでくれ」


 浅戸さんは僕とは違って、もう隕石の事は気にしてないみたいだ。

 その方が現実的だろう。事ある毎に、十二使徒や七つの何とかと結び付けるのも、安易と言えば安易だ。無関係の可能性だって当然ある。

 僕は二度息を吐いた。

 浅戸さんは高速道路に向けて車を発進させる。

 先の事を考え過ぎてもしょうがない。S県に戻るのは夜中になるけれど、ウエフジ研究所に帰ったら、しばらくは何も考えずに休もう。





 十二月二十七日、年末年始の研究所は人が少ない。

 去年は雨田さんもいたんだけれど、C機関に移ってしまったし、新しいフォビアの人が見付かった訳でもないから、研究所に残っているフォビアの人は一人減った。

 フォビア持ちは僕と初堂さんと窯中さんと穂乃実ちゃんの四人だけだ。後は研究員の人達と……コールドスリープ中の石建さんぐらい。


 昨夜は帰りが遅かったから、僕は朝寝坊する気でいた。でも午前十時、僕の部屋を穂乃実ちゃんが訪ねて来る。

 昨夜就寝したのが、午前三時……まあ七時間も眠れば十分だろう。

 僕は急いで起きて、穂乃実ちゃんを迎える。僕がドタバタしていたからか、穂乃実ちゃんは少し申し訳なさそうな顔をした。


「あの、メイワクでしたか?」

「いやいや、ちょっと寝過ごしただけ」


 生活のリズムを極端に崩すのも良くないし、ちょうど良かったと思っておこう。

 僕はあくびを噛み殺しながら、穂乃実ちゃんをリビングルームに通す。今日も勉強に来たんだろう。穂乃実ちゃんは教科書とノートを抱えている。

 あー、でも朝ご飯はどうしようか……。穂乃実ちゃんを置いて食堂に行くのもどうなのかと僕は少し考えた。

 思案の末に、取り敢えずお茶を二人分用意する。今日は紅茶にしよう。いつもより多めに砂糖を入れて飲めば、少しは寝起きの頭も回るだろう。



 それから僕と穂乃実ちゃんは二時間近く勉強した。僕はお腹が空いていたけれど、幸いにもグーグー鳴る事はなかった。もし鳴っていたら、見栄っ張りのボロが出るところだった。

 十二時前になって、僕と穂乃実ちゃんは二人で食堂に向かう。

 食堂に入ると今年の責任者の小鹿野さんが、声をかけて来た。


「おはよう、向日くん。お疲れだったみたいだな」

「もう『こんにちは』ですよ」

「ははは。君が帰って来るまで、平家さんは寂しかったみたいだぞ」


 そうなのかと穂乃実ちゃんを顧みると、穂乃実ちゃんは恥ずかしそうに俯いた。


「そうしていると、まるで兄妹だ」


 まあ仕事の無い日は大体一緒にいるし、そんな風に見えない事もないだろう。

 穂乃実ちゃんはと言うと、照れ臭そうにはにかんでいる。穂乃実ちゃんは頼れる身内がいないから、血は繋がっていなくても、身近な人が欲しいのかも知れない。

 でも、「お兄ちゃんと呼んでも良いんだよ」と言うのは気恥ずかしい。


 穂乃実ちゃんはトレーを持って着席した後、僕に向かって言う。


「あの、向日さんのコト、お兄さんとは思ってないですから」

「そう?」


 そこに拘りがある訳じゃないから、そう思われてても思われてなくても、別に構わないんだけども。


「僕は一人っ子だから妹とかよく分からないけど、穂乃実ちゃんみたいな子が妹なら――ああ、いや、何でもない。今のは聞かなかった事にして」


 気を遣おうとして、変な事を口走ってしまった。冷静に考えて恥ずかし過ぎる。

 うっかり最後まで言い切らなくて良かった……のか? いや、あそこまで言ってしまったら、もう全部言ってしまったも同然じゃないか?


「妹なら……何ですか?」

「いや、その……」


 聞かなかった事にしてって言ったのに、どうして食い付いて来るんだ……。

 どう答えれば良いんだよ? 妹なら「嬉しい」? でもその言い方だと、僕が兄妹みたいな関係を望んでいる事にならないか? 「お兄さんとは思ってない」って本人に言われたんだから、ここで「妹なら嬉しい」って言うのは変だろう。

 妹なら「良かった」? それもやっぱり兄妹みたいな関係を望んでいる事になるんじゃないか? 実際、悪くはないと思うけどさ。

 ……妹なら「悪くない」? その言い方もどうなんだ? 上から目線で相手を評価するみたいで、感じ悪くないか?

 黙り込んでいる訳にもいかないから、僕は話を逸らそうと決める。


「ああ、僕も年長者として頑張らないとって……」


 ごまかせたか?

 穂乃実ちゃんは真っすぐ僕を見ている。深い意味は無いんだから、そんなに真剣な目で見詰めないでくれ。あー、もう、変な事を言うんじゃなかった。

 僕は心の中で頭を抱える。


 でも、こういう事で悩めるのは平和な証拠だ。もっとこの時間を大切にしたい。

 来年からは、また仕事で忙しくなるだろうから。

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