それからの僕

1

 一年後――僕はウサギさんを通訳に連れて、インドネシアを訪れていた。スマトラ島北部の山岳地帯で、正体不明の賊が現れる事件を解決するためだ。

 話によると、その賊は「見えない鞭」を使うらしい。いきなり見えない所から攻撃されて、賊が何人かも分からない。荷物を置いて逃げるか、さもないと鞭で何度も激しく打たれて、痛みで動けない間に荷物を奪われる。それだけでなく、中には死亡した人もいるという。

 山に入らなければ安全という訳でもなく、徒歩で山中に入った人だけじゃなくて、山に近い道路を走っていたトラックが賊に襲われた事例もあるらしい。

 警察が捜索隊を組んで山狩りを実行したけれど、逆に撃退される有様で、どうにもできない。だからと言って、軍隊を投入しても解決できなければ、いよいよ国家の威信に関わる。

 常識では考えられない「見えない鞭」を振るう事から、これは超能力事件だと理解したインドネシア当局は、日本のF機関を頼った――という訳だ。


 僕とウサギさんはメダンの大使館に立ち寄って挨拶をした後、市内の高級ホテルに一泊した。

 ホテルの一室で僕とウサギさんは関係資料に目を通しながら話をする。


「『見えない鞭』って何なんだろうね?」

「恐らくは鞭恐怖症だな。誰かの鞭打ち刑を目撃したか、それとも実際に鞭打ちを受けたかで、鞭に対する恐怖が染み付いたんだろう」

「今でも鞭打ち刑なんてあるんだ……」

「鞭打ち刑はイスラム教圏の一部の国で採用されている、身体刑の一つだ」


 資料には被害者の写真も添付されている。どれも痛々しくて、とても正視に堪えない物だけれど、これから戦う相手の事だから見ない訳にもいかない。

 被害者の体の各所に赤い裂傷がある。中には肉が削げて、骨まで露出している傷もある。どれだけの痛みなのか、想像するだけでも恐ろしい。


「鞭打ちにも重い刑と軽い刑があるが、基本的に激しい痛みを伴う。そうでなければ罰にならないからな。強い衝撃で骨折したり、痛みに耐えられず気絶したり、最悪の場合は死亡する事もあるという」


 僕はウサギさんを現場に連れて行くべきか迷った。


「どうする……? 僕が一人で行こうか?」

「私も同行して索敵する。それに君はインドネシア語が喋れないだろう。現地警官とのコミュニケーションはどうする気だ?」

「あぁ、ゴメン」

「気にするな。君と私との仲じゃないか」


 ウサギさんはニヤリと笑って僕の目を見る。

 近頃ますます上澤さんに似て来たなぁ……。何だかもう一人上澤さんがいるみたいだよ。だからなのか、一緒の部屋に泊まっていても、女の人と一緒にいるって意識はそんなに無い。

 ウサギさんとしては、その辺どうなんだろう? やっぱり女性として扱われる事を期待していたりするんだろうか? それとも全然気にせずに、普段通りに接した方が良いのかな? ぎくしゃくして変な感じになるのも嫌だから、普段通りにする以外の選択は無いんだけどさ。


「このフォビアの人、『デラーン』って言うの? 捕まったらどうなるかな?」

「強盗には違いないから、相応の刑罰を受けるだろう」

「……鞭打ちとか?」

「もっと重い刑罰になる。敢えて鞭打ちにするという可能性も無くはないが、イスラム法で裁かれるか、通常の裁判を受けるかでも、裁量は大きく変わるだろう」


 どうにか助けられないかと僕は思った。

 でも、ウサギさんは僕の顔を見て眉を顰める。


「強盗致死や強盗傷害の罪は重いよ。被害者も多いから、死刑でもおかしくない」

「それでも……フォビアが無ければ、普通の生活を送っていたかも」

「確かに、フォビアのせいでまともな生活を送れなかったのかも知れない。しかし、インドネシア国内でF機関の様なフォビアを保護する施設や制度が確立されていない以上、どうしようもないんだ。超能力についての研究は進められていても、なかなかフォビアの扱いまでは……。これからも外国で活動する以上、こういう事態には何度も遭遇するだろう」

「だからって諦めたくはない。何とか交渉できないかな?」

「所長や副所長とも相談してみないと、何とも言えないね」


 僕はウサギさんの言葉の真意を分かっていた。結果はともかく、交渉するだけしてみるという事だ。


「ありがとう」

「……よしてくれ」


 ウサギさんは照れて視線を逸らす。こういうところはとても可愛いと思う。いや、変な意味じゃないくて。



 翌朝、僕達はメダンから南東の山中に足を踏み入れた。

 賊はアチェ州と北スマトラ州の境目の山を縄張りにしているらしい。何度も山狩りが行われたけれど、何故かそこから移動したがらない。特別な事情があるのか、それともフォビアの者によく見られる異常な執着か?

 どちらにしても、今回は好都合だ。

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