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 とにもかくにも、バイオレンティスト暗殺作戦は成功した。解放運動もこれで終わりだ。でも……僕の心は晴れない。今の曇り空みたいに、暗く閉ざされて重苦しく澱んでいる。

 死体の処理は公安が応援を呼んでやると言う。僕達は先に車で帰る事になった。

 上澤さんが気落ちしている僕を気遣って、声をかけてくれる。


「君はよくやってくれた」

? って何ですか? 何がなんですか……」


 だけど、僕の心は一層落ち込む。顔は半笑いで力のない溜息が漏れる。

 上澤さんは少し困った顔で答えた。


「今回の作戦の事だよ」

「……人を殺して、はないでしょう」


 人を殺して褒められるのは、軍隊とか死刑執行人ぐらいじゃないだろうか? 僕はどっちにもなった覚えはない。

 本音を言えば、誰にも死んで欲しくなんかなかった……。いや、バイオレンティストについては僕が殺したも同然だ。綺麗事を言うのはやめよう。僕はバイオレンティストなら死んでも構わないと思っていた。それは事実だ。

 僕は自分自身に失望している。今の僕の気持ちを隠さずに言おう。


「今まで僕は、僕のフォビアは人を助けるためにあるんだと思っていました。向日衛……上澤さん、あなたが付けてくれた名前です。……」

「……悪かった」


 上澤さんは小声で僕に謝った。

 ああ、良くない。上澤さんを責めるつもりはないんだ。


「上澤さんが謝る事はありません。守れなかったのは僕が無力だからです。そういうフォビア……だから、しょうがないんでしょうか……?」

「しょうがなくはないさ」

「それじゃあ未熟な僕が悪いって事になりませんか」


 上澤さんは黙り込んでしまった。

 これも良くない。何だか愚痴ってるみたいになった。言い方が悪かったとは分かっていても、上手な言い回しが思い浮かばない。どうやってフォローすれば良いのかも分からない。

 この何とも言えない気まずい空気を嫌ったのか、上澤さんは話題を切り替えた。


「皆、疲れたと思う。今日はゆっくり休んでくれ」

「はい」


 全員が銘々に肯定の返事をする。

 その後で上澤さんは僕だけに言った。


「向日くん、明日大事な話をしよう。聞いてくれるね?」

「はい」


 気を遣わせてしまっただろうかと、僕は申し訳ない気持ちになる。大事な話を断る理由も無いので、僕は素直に頷いた。


 ウエフジ研究所に帰り着いたのは夕方の事。

 研究所としては、地下の保護施設に新たに一人、ブラッドパサーが加わった。ただそれだけの変化。だけど、僕にとっては……。

 それでも僕は立ち直る。こんな風に落ち込むのは今だけさ。



 翌日、僕は日富さんのカウンセリングを受けた後で、上澤さんの話を聞きに、副所長室に向かう事になった。

 まずカウンセリングの前に日富さんは僕に言う。


「昨日は大変でしたね」

「はい、まあ」


 一晩経って僕の心はいくらか落ち着いていた。もう過剰反応はしないと思う。

 ただ……少し気分が落ち込んでいる。でも顔には表さない。


 日富さんはいつもより時間をかけて僕の心を読んだ後、丁寧にラッピングされた小さな箱を差し出した。


「どうぞ」

「これは……?」

「バレンタインチョコです。一日遅れですけど」

「あっ、どうも」


 確実に義理だろうけど、ありがたく受け取る。昨日がバレンタインデーだったとか完全に忘れていた。


「余り一人で思い込まないでください。何もかもがあなたの責任だなんて、そんな訳はありません」

「それは分かってます……けど、僕のせいじゃないってのも違うでしょう?」


 僕の反応に日富さんは難しい顔をして考え込んだ。そしてぽつりと零す。


「……本当の事を……」


 それから日富さんは何度か何か言いかけたけれど、結局やめてしまった。日富さんは小さく首を横に振って、そっと溜息を漏らした後、目を伏せて改めて僕に言う。


「今日は副所長のお話を聞きに行くんでしょう?」

「はい」

「大事な話をされると思います。しっかり聞いてください」

「それは……当り前じゃないですか」


 上澤さん自身も大事な話だって言っていたし、軽く聞き流せる事じゃないだろう。思わせ振りな態度を取るよりも、今日の上澤さんの話について具体的な内容を教えて欲しかった。

 それから日富さんは何も言わず、そのままカウンセリングの時間は終わりになってしまった。もう一言か二言ぐらい、昨日の事について突っ込んだ話をされるとばかり思っていた僕は、拍子抜けする。

 日富さん、具合が悪いのかな? まあ日富さんも人間だから、調子の悪い日ぐらいあるだろうと、深くは気にしなかった。

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