解放運動の最後
1
窓から三階の廊下に戻った僕は、どっと疲れを感じた。濡れた体が冷たい。今頃になって手が
大きく深呼吸をする。こんな感覚は初めてだ。長時間緊張しっ放しだったからか、それともフォビアを使い過ぎたのかも知れない。
三階から二階へ下りると、友地さんとクモ女が下の階から駆け上がって来て、僕の前で足を止めた。僕も足を止める。説得は成功したんだろうか?
まず友地さんが僕に話しかける。
「バイオレンティストはどうなった?」
「……屋根から落ちて動かなくなりました。屋敷の裏の地面に倒れています」
僕の答えを聞いた友地さんは、クモ女に目を向ける。
「俺の言った通りだろう? もう終わったんだ。諦めよう」
まだ説得できていなかったのか……。
友地さんは優しくクモ女を諭したけれど、クモ女は真顔で首を横に振る。
「それはできない。私は人類に対する
「知朱、何をバカな事を――」
「バカじゃない! お前には分からないんだ!」
クモ女は声を荒らげて敵意を表す。
「今更!! 今更、普通の生活に戻れるもんか! 私は信じていたんだ! 超能力が認められる世界が来るって! それなのに!!」
「落ち着け、落ち着けって」
友地さんがクモ女を宥めようとした、ちょうどその時だった。一発の銃声が吹き抜けに鳴り響いて、クモ女が前のめりに倒れる。糸の切れた操り人形の様に、踏み止まる様子もなく。
顔面を潰されて倒れていた公安の人が、最後の力を振り絞って銃を撃ったんだ。
「何をするんだ!」
友地さんは公安の人を責めたけれど、その声は届いていない。公安の人はぐったり倒れて動かなくなっている。
突然の事に僕はしばらく立ち尽くしていた。友地さんは屈み込んで、倒れたクモ女に呼びかけている。
「知朱、しっかりしろ!」
クモ女は全く反応しない。赤い血が床に拡がる……。撃ち抜かれた場所が悪かったんだろう。即死だった様に見える。
またか? 僕の目の前で何人死ぬんだ……――いや、待て! そう決め付けるのはまだ早い。こんな時のために復元さんがいるんじゃないか!
沈みかけていた気を持ち直した僕は、急いで階段に向かった。
「復元さんを呼んで来ます! 取り敢えず救急処置を!」
体も心も疲れ切っていたけれど、そんな事は関係ない。人が助かるか助からないかの境目だ。早足で一段ずつ階段を下りながら、携帯電話で復元さんの番号にかける。
……なかなか通じない。何をしているんだ? 何か良くない事でも起きたのか?
急げ、急げ。間に合え、間に合え。屋敷の外に飛び出した僕は、そこに復元さんの姿が無い事に動揺する。その場には窯中さんと見知らぬ男性と公安の人の三人だけ。多分、男性はブラッドパサーだろう。
僕は窯中さんに尋ねた。
「復元さんは!?」
「屋敷の裏手に……」
窯中さんが返事を聞き終えない内に、僕は屋敷の裏手に走った。山の中だから電波が届かないとか? 幸い、雨は小降りになっている。濡れた土の上を走って屋敷の裏手に向かうと、上澤さんと雨田さんと復元さんが三人でバイオレンティストを見下ろしていた。
僕は真っ先に復元さんに声をかける。
「復元さん! 急いで来てください!」
「どうしたんだ?」
「人が死にそうなんです! 説明は後で! とにかく早く!!」
復元さんは事情が呑み込めていない様子だったけれど、僕に付いて走ってくれる。
「早く、早く!」
僕は復元さんを急かして、屋敷の中に戻る。
いやに呼吸が苦しい。足も重くなって来た。屋敷の吹き抜けから真っすぐ階段を駆け上がろうとしたけど、もう疲労が限界だ。足が上がらない。
「上の階に行ってください! 僕の事は構わずに!」
復元さんは困惑した顔で、階段を一段飛ばしに上がって行く。
僕は先行した復元さんの後から、一段一段歩いて階段を上がる事にした。二階に着く頃には乱れた呼吸も落ち着いていたけれど、脈拍はまだ激しいまま。
僕は恐る恐る二階の様子を窺う。クモ女と公安の二人は無事だろうか? 全員死んでいたらどうしよう……。事実を確認するのが怖い。
廊下には二人が倒れている。クモ女と公安の人の一人だ。もう一人の公安の人は意識を取り戻したのか、負傷した顔面を押さえて、壁に寄りかかって立っている。
復元さんは倒れている公安の人の手当てをしていた。一方で、友地さんは同じく倒れているクモ女の横に屈み込んで俯いている。
それを見ただけで僕は何となく察した。クモ女は助からなかったんだろう。友地さんにどう声をかけて良いか分からなかった僕は、復元さんの方に尋ねた。
「復元さん、その人は……」
「ああ、何とか助かりそうだ。ただ……」
復元さんはクモ女に視線を向けた。全部言われなくても分かる。
僕が小さく頷くと、復元さんは苦笑いして言う。
「死んだ人間を生き返らせるのは無理だ」
僕は徒労感で座り込む。また……僕の目の前で人が死んだ。バイオレンティストの事は……まあ、覚悟はしていた。だけどクモ女まで……。
僕は公安の人を睨む。どっちがクモ女を撃ったのかは分からないけれど、問い質さずにはいられない。
「どうして……撃ったんですか?」
「彼女を撃ったのは私じゃない。そんな事を聞かれても困る」
他人がやった事なら分からないよな……。あの時、二人は顔面を殴られて倒れていた訳だし、正気じゃなくて錯乱していたかも知れない。そうであって欲しい。明確な殺意を持って殺した訳じゃないんだと信じたい。
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