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 いよいよ新商品の発表会が始まろうというタイミングになって、僕は自分のフォビアを意識した。

 絶対にフォビアを悪用させたりしない。そういう決意で僕は壇上に注目する。他の事は一切気にしない。少しでも注意を逸らしたら、どうなるか分からないからな。


 壇上ではS社の商品開発部の人と広報の人と、新商品のイメージキャラクターに選ばれた芸能人の男女が挨拶をしている。

 男の人の方は輿こし大勝ひろかつ、J.J.STARSという男性アイドルグループのメンバー。

 女の人の方は納谷なやなこ、舞台出身の若手女優。

 ……そして何も起こらないまま、無事に新商品発表会は終わった。それでも僕は最後の最後まで気を抜かない。どこでレディ・サファリングが見ているか……。

 その時、僕の視界内に女性警備員が入って来た。一人だけ制服の違う、例の女性警備員だ。自然な動きで、納谷さんをエスコートしようとしている。女性同士だからという事で、多くの人が「こいつは誰だ?」という問題を自己解決して、存在をスルーしてしまう。

 怪し過ぎると感じた僕は、早足で女性警備員に近付いた。

 僕に気付いた女性警備員は、納谷さんの手を引いて走り出す。同時に男性警備員が僕を止めに出て来る。


「待て。何の用だ?」

「あの警備員!」


 僕は女性警備員を指して言う。全員がハッとして振り返るも、女性警備員は納谷さんを連れて、裏口を通って会場から出て行った。

 僕が目立つ行動を取ったから、小さなどよめきが起こる。

 興さんが何事かと僕の方に寄って来て、男性警備員に話しかけた。


「どうしたんですか?」


 これじゃ僕が不審者扱いだ。初めて手が届く様な距離で芸能人を見るのに、感動も何もあったもんじゃない。

 更に他の警備員の人達も集まって来る。僕は何とか言い訳しようとした。


「違うんです。僕が用があったのは、警備員の方なんです。あの人はいったい誰なんですか?」

「誰って、そんな事はどうでもいいだろう」


 答える義理は無いと、男性警備員は冷たく切り捨てる。それはそうだけど、今は違うんだよ。僕は勢いで押し切ろうとした。


「どうでも良くはないですよ! あの警備員はどこの誰なんですか!」

「君こそ、どこの誰なんだ?」


 警備員の一人にそう聞き返されて、僕は黙り込んだ。僕は招待券を持っているゲストの一人に過ぎない。

 ああ、こんな事をしている場合じゃないのに。一刻も早く、あの警備員を追いかけないと。


「……ただの招待客です」


 僕は招待券を見せて答えた。

 だけど、それを本物だと確認した後でも、警備員の人達は僕の側から離れようとしない。僕は何とか言い訳しようとする。


「いや、だから……あの人だけ制服が微妙に違うじゃないですか」

「女性用の制服だからじゃないのか」

「そうなんですか? 男女でデザインが違うって、おかしくないですか?」

「そう言われても」

「いや、おかしいですよ。何で一人だけ?」

「そんな事を聞かれても困る」

「どうしてそこをちゃんと確認しておかないんですか!」

「あんたには関係ない事だろう!」


 あー、もう! こんな所で言い合いをしている場合じゃないってのに……。

 僕は裏口を通るのを諦めて、表から回り込もうと考える。何人かの警備員は僕の後に付いて来た。

 ホテルの廊下に出て辺りを見回すと、女性警備員が納谷さんを連れて階段の側まで移動していた。

 何をするつもりだ……?

 僕が女性警備員に駆け寄ろうとすると、女性警備員と納谷さんは二手に分かれて逃げ出した。女性警備員は階段を駆け上がり、納谷さんは廊下の先に走り出す。

 僕は当然、女性警備員の方を追う。僕の後から来た警備員の人達は、僕の事を不審者だと決め付けて、僕を追いかける。

 いやいや、違うって! だから、芸能人はどうでもいいんだよ!


 僕が階段を駆け上がると、他の警備員の人達は追って来なくなった。

 女性警備員は階段を上へ上へと逃げて行く。追い付けそうで追い付けない。足が疲れるぐらい長い追いかけっこの末に、女性警備員は立入禁止の注意書きを無視して、ホテルの屋上に出て行った。

 逃げ道があるんだろうか?

 僕は疑問に思いながらも、続いて屋上に出る。女性警備員は屋上のド真ん中で立ち止まって、僕に振り向いた。

 僕も足を止める。


「レディ・サファリングだな?」


 僕の問いかけに、女性警備員は俯いて応えた。


「そういう君はニュートラライザーな?」


 その口元は笑っていた。ちょうど警備員の帽子の庇で視線が隠れているから、不気味に映る。日本語がちょっとカタコトなのも不気味さを助長している。


「僕の事を知ってるのか?」

「君は知らないかもだけど、結構有名な」


 有名? どこから情報が漏れるんだ? ニュートラライザーって名前からすると、公安? それとも……解放運動か? どっちもあり得そうなのが嫌だ。


「そんな事はどうでもいい。フォビアを悪用するのはやめろ」

「それは私じゃなくて、私を利用する人間に言ってやれな。今回の依頼者は日本人。私も依頼が無ければ、わざわざ日本に来たりしない」


 僕は即座に言い返す事ができなかった。確かに、一番悪いのは他者を蹴落とそうと依頼した側の人間だ。だけど、そんな依頼を受けているレディ・サファリングも無実とは言えないだろう。

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