地獄の有様

1

 真っ白な光に包まれた僕は、フワフワした感覚に襲われた。宙に浮いている様で、不安になる。一体僕はどうなっているんだ?

 体感で何分か経った後、ようやく少しずつ視界が元に戻って行く。そこは……飯田橋駅の地下だった。東京の地理には詳しくないから、最初はここがどこか分からなかったけれど、看板が近くにあって助かった。まあ地名が分かっても、飯田橋が東京のどの辺か分からないんだけどね……。


 僕が駅の案内図を探してウロウロしていると、ガラの悪い人達が寄って来る。男女混成、六人の集団。


「おう、ここに来たのは初めてか?」

「ええ、はい……」


 内心では関わり合いになりたくないなと思いながらも、無視するのも悪いから普通に応じた。そうすると体格の良い三人の男性が僕を取り囲む。

 僕は警戒して戦闘の心構えだけはしておく。三人共、僕より大柄だ。でも長物ながものは持っていない。武器はブラスナックルだけかな?


「天国から落ちて来たんだろう?」

「はい」

「ここの作法を教えてやるよ。とりあえず、金目のモンを全部置いて行きな」

「本気ですか?」

「冗談に聞こえるかよ。ここは地獄だぜぇ」


 六人はニヤニヤと笑っている。この人達は天国から落ちて来たばかりの無防備な人達を狙って、ここにたむろしているんだろう。それじゃあ――僕も地獄の作法に則るとしようか!

 僕は背筋を伸ばして、正面に立っている男を睨む。そうすると相手も対抗して背筋を伸ばし、胸を突き合わせる様にして、僕を見下して来る。

 その見栄が命取りだ! 水落みぞおちに拳を叩き込む!

 五縞さん秘伝の殺人技が一つ、胃潰いつぶし。所謂いわゆるストマックパンチだ。

 僕の不意打ちで一人が倒れて、残りの五人は動揺する。すかさず左側にいる奴を睨んで牽制。視線を送るだけで十分。相手は次に自分が狙われると思って怯む。

 同時に、右側にいる奴には隙を見せる事になるから、こちらを先に潰す。左の奴は後回しだ。


「ケェェーーイッ!!!!」


 奇声で相手を脅して、右側の奴に振り向きながら、左拳でボディーブロー。

 五縞さん秘伝の殺人技が一つ、肝潰きもつぶし。

 相手の右の肋骨を割った手応え。これも決まった。二発で二人を戦闘不能に。ここまでは理想的な運び方。

 残った左側の奴はまだ怯んで動けない。こちらからは打たずに、声で威圧する。


「どうした!! もう終わりか!」


 これで降参してくれると良かったんだけど……後方に控えていた残りの三人の内、一人の男が拳銃を取り出した。

 予想外だ。ちょっと焦る。追い詰め過ぎてしまったか?


「ナメんじゃねぇええっ!!」


 交渉する余地も無い。相手は発砲する寸前だ。手足が届く距離でもない。

 フォビアを使うしかない!

 バン、バン、バンと続けて三発撃たれる。両腕で顔面を防御する僕のに一発ずつ命中。もう一発は外れた。フォビアのお蔭で直撃した二発も、小石が当たったぐらいの衝撃で済んでいる。


「効くかよっ、そんな物!」

「おおぉっ!? 化け物か、こいつ!」


 銃は捨てさせないとまずい。そう判断した僕は、顔面をガードしたまま拳銃を持った男に向かって走った。

 相手は銃を持ったまま、発砲を続ける。胸に更に二発が当たったけれど、そこまで痛くない。

 男の顔が恐怖に歪む。さっさと銃を捨てて逃げれば良かったのに、逆に銃を持っているから、撃つ事だけに気を取られて、そこまで考えが至らないみたいだ。

 早く無力化させようという思いから、僕は顎を狙って全力でアッパーを放つ。三人とは違って、僕より体の小さい人だったから、軽々と胴体が浮いて吹っ飛んだ。そのまま背中を床に叩き付けて、起き上がらない。

 ……やり過ぎたかも知れない。死んではいないと思うけれど。

 その内に騒ぎを聞き付けたのか、鉄道警察らしき人が一人やって来た。これで騒ぎが収まるだろう……と予想していたんだけれど、甘かった。

 残った三人が警官に泣き付く。


「ザキさん、助けてください!」


 僕はしまったと思った。

 こいつ等、知り合いだったのか? 途轍もなく嫌な予感がする。


「動くな!」


 どうしてか警官は僕に銃を向けた。


「えぇっ!? 待ってください! 僕は被害者です!」

「そこに倒れてる三人は何だ!?」

「これは……正当防衛です!! だって、銃で撃たれたんですよ!?」

「黙れっ!! 銃で撃たれたのに無事な訳があるかーっ!!」


 それはごもっとも。フォビアなんて説明しても分からないだろうし、これは困った事になった。

 ……でも、この反応はおかしくないか? 知り合いだったなら、素行の悪さも知っているはずだ。どうして事情も聞かずに、いきなり銃を向ける?


「もしかして、お前達……全員グルなのか?」

「悪く思うなよ」


 警官は不敵に笑う。悪徳警官だったのか?

 この状況、地獄かよ……って地獄だったな。ああ、そういう事なのか……。

 僕は妙に納得していた。地獄は法律とか善意が全く機能しない世界なんだ。人は欲望のままに求めるだけ。

 もうこうなったら、とことんまでやってやろうじゃないか!

 僕は敵意を剥き出しにして、警官を睨む。僕が足を踏み出すと、警官の後ろで固まっていた三人が慌て始めた。


「ま、まずいですよ、ザキさん……。こいつには鉄砲が効かないんです」

「は? 何言ってんだ? マジで撃ったのか? 素手の相手に? どうせ慌て過ぎて外したんだろ。お前等、見かけの割にチキンだからな」


 そりゃ信じられないよな。

 警官は僕の足元に向かって一度威嚇射撃する。


「止まれ。次は当てるぞ」


 勿論そんな事では止まらない。撃つなら撃てってんだ。


「正気か?」


 二度目の発砲は僕の耳元を掠めた。ヒュッと空気を裂く音が聞こえる。銃弾は掠っただけでも怪我をするって言うけれど……フォビアの影響で銃弾の速度が落ちているんだろう。全く何ともない。

 僕は足を止める事なく、顔面を防御しながら前進した。


「頭おかしいだろ、お前!! 止まれ! 止まれ……って!」


 警官は三発目を撃たなかった。怒りの形相が見る見る弱々しくなって行く。僕の無力化のフォビアで精神が元に戻りかけているんだ。まともな警官なら、この状況で銃は撃てない。


「あぁ……待て、止まれ! 頼むから止まってくれ! 私が悪かった! どうかしていたんだ!」


 警官は完全に正気に戻っていた。瞳から狂気が消えている。

 でも、まだ僕は油断しない。


「銃を下ろすのが先だ!」

「分かった、下ろすから!」


 警官が銃を下ろすと、背後の三人はますます慌てる。


「何やってんですか、ザキさん!!」

「うるさい! 今までがおかしかったんだ! お前達、この人に謝りなさい!」

「えぇ……」


 三人はとても嫌そうな顔をして謝罪を渋った。今まで兄貴分だと思って慕っていた人が急に心変わりしたから、納得できないんだろう。


「す、すいませんでした」

「シャーセン」

「スッした」


 一人はちゃんと謝ったけど、他の二人はテキトーな謝り方だ。


「ふざけてるのか? ……今は見逃す。次は無いと思え」


 ムカつくけど、今はこんな奴等に構っている場合じゃない。

 僕は正気に戻った警官に問いかける。


「ところで、真桑って人を知りませんか?」

「誰なんだ?」

「僕より前に天国から落ちて来た人です。若い大人の男の人で、公安に所属しているんですが……」

「いや、知らない」

「久長って人は?」

「分からない」

「そうですか……。では、僕は先を急ぐので」

「気を付けてくれ。今、この近辺はおかしくなっているんだ。何がどうとかは上手く言えないんだが、とにかくおかしい。私もこいつらも、正気じゃなかった」

「はい、分かっています」


 この人達を責めても、どうしようもない。地獄そのものを何とかしないと。

 僕は駅の中の案内図を確認してから、一人で駅の外に出た。

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