3
正殿松の間へと宮殿の中を真っすぐ進む僕に、久長さんが話しかけて来る。
「どこに行く気だ?」
「松の間です」
「誰かいるのか?」
「ルーシーって人がいるはずです」
「それは誰なんだ?」
「分かり易く言うなら、敵の親玉です」
久長さんは目を白黒させ、口をパクパクさせて動揺していた。
「あぁ……いや、待ってくれ」
「待ちませんよ」
「敵って何なんだ?」
「この天国を創った――いえ、東京をこんな風にした奴です」
「そんな奴に……おい、待てって!」
僕は久長さんの声を敢えて無視した。はっきり言って、何の備えもしていない普通の人ではエンピリアンには対抗できない。それにルーシーはモーニングスター博士の孫だから、他のエンピリアンとは違う何かを持っているはずだ。
久長さんは皇宮護衛官だから、普通の人よりは戦えるんだろうけれど、ルーシーと対峙する事を思えば、置いて行けるなら置いて行きたい。
一人で松の間の前に進む僕を、後ろから久長さんが肩を掴んで呼び止める。
「待てって!」
僕は振り返って久長さんを睨み、声を抑えて脅迫した。
「静かに。ルーシーがこの中にいるんですよ。死にたいんですか?」
「死!?」
「大体何で僕に付いて来たんですか? 邪魔するだけなら帰ってください」
「それは……付いて行けって言われたからだよ。お前が何かおかしなマネをしないか見張るために……」
「この非常時に? こう言っちゃ悪いですけど、全く無人の皇居を守ってどうするんですか?」
「ここは神聖な場所だ!」
久長さんは急に勢いを取り戻して、僕に反論した。
神聖な場所だって? 現状も知らずに、おめでたい事を言う人だ。職務に忠実なのは結構だけど、もっと柔軟に対応してもらいたい。
僕は話を中断して、松の間に踏み入った。
「あっ、おい!」
久長さんはまだ言い足りない感じだったけれど、ここで話しても時間のムダだ。
松の間には変わらず高御座が置かれていて、御簾が下りている。
「おや……向日サン、何のご用ですか?」
「聞きたい事がある。真桑さんはどこだ?」
「公安の彼ですね。地獄に送りました。彼は天国の約束を守らなかったので」
ルーシーに銃でも向けたのかな? 真桑さんがもう天国にいないなら、僕も天国に留まる理由は無い。
「分かった。もう一つ、そこの高台の中には誰がいる?」
「誰がいると思います?」
ルーシーが小さく笑って聞き返すと、僕の隣で久長さんが青ざめた顔をする。
「まさか……陛下!」
そんな訳は無い。皇室の人達はとっくに京都に避難したはずだ。皇室とは無関係な重要人物がいる可能性はあるけれど。
ルーシは笑いを堪えながら言った。
「日本の信仰は不思議ですね。何でも隠したがります。向日サン、御神体を目にした事はありますか?」
「御神体?」
「神社の本殿に秘匿されている物です」
「いや、全然」
そもそも普段そんなに神社にお参りしないし……。初詣ぐらいだ。
「『隠す』という事は観照に堪えないという事です。多くの宗教が偶像の崇拝を禁じているのは、形ある物は永遠ではないと知っているからです」
「違うと思う。隠すのは……貴重だから盗難防止のためにとか――」
「壊されたり盗まれたりして簡単に失われる様な物を、心の拠り所にする事が愚かだと言うのです」
「……いや、そんな議論をしに来たんじゃない! そこには誰がいるんだ?」
僕の問いかけに、ルーシーは呆れた笑みを浮かべて御簾を上げた。そこには……誰もいない。高御座の中は空だった。
「満足しましたか?」
「ああ」
納得して頷く僕の横で、久長さんは安堵の息を吐いていた。
久長さんは高御座を見上げ、ルーシーを睨んで言う。
「高御座から降りろ。そこはお前がいて良い場所じゃない」
「……嫌だと言ったら、どうしますか?」
「無理やりにでも降りてもらう!」
高御座に上がろうとする久長さんを、ルーシーは見下して笑った。
「おや? あなたは高御座に上がっても良いのですか?」
「慮外者を捕らえるためには、やむを得ない事だ!」
「天国の約束は覚えていますね?」
「それが何だと……」
久長さんは一度足を止めた。
あぁ、ダメだ。まともに話を聞いちゃいけない。聞く耳も持たずに実力行使するぐらいじゃないと。相手はエンピリアンだぞ!
「あなたには地獄に落ちてもらいます」
次の瞬間、激しい白光が久長さんを覆う。
そして……十秒ぐらい経った後、光が収まった時には久長さんの姿は消えていた。僕は目を疑った。テレポーテーションなのか? そんな超能力があり得るか?
どんな超能力でも物理法則の限界は超えられないはずだ。でもバイオレンティストの様にフォビアが物理を超えて現実を支配する例を僕は見た事がある訳で……。
まさかルーシーの天国に対する狂信的な信仰は、僕のフォビアどころか物理法則をも超越しているとでも言うのか?
……ダメだ。完全に気持ちで負けている。打ち倒せるというイメージが湧かない。
ルーシーの目がゆるりと僕に向く。
「向日サン、まだ何か?」
僕は信じられない現象を目の当たりにして動揺していたけれど、黙ったまま引き下がる訳にはいかないから、取り敢えず言うだけは言う。
「……天国のルールを決めたのは、制定者のフォビアだな? 制定者のフォビアを利用して、訳の分からない『約束』を皆に強制しているんだ」
「なかなか鋭いですね」
「エンピリアンがフォビアを超能力として学習する事は知っている。フォビアよりも効果は落ちるけど、恐怖症の悪影響を受けない使い易い超能力として。ブレインウォッシャーのフォビアも使っている」
「人は右に倣う性質があります。天国でも誰か規範を示す存在がいなくてはいけませんからね」
「超能力解放運動の事をどう思っていたんだ?」
「哀れな人達ですよ。力を持ちながら、それを利用されるだけで終わってしまった」
「哀れむ心を持ちながら、能力だけを学んで捨てたのか」
「同情はしますが、それだけです。私には私の目標がありますので」
「何故、東京だったんだ?」
「最も利用し易そうだったからです。ここは生き疲れた現代人の溜り場であり、同時に富と欲望の集まる場所でもある……。ここに住む人々は魂の糧となる真の信仰を持ち合わせておらず、神に願う事は現世利益の追求ばかり。この者達にこそ天国と地獄が必要でしょう? 愛すべき人達です」
正直、何を言っているのか分からなかった。日本人を見下しているだけじゃないかと思ったけれど、そうじゃないみたいだ。いや、見下してはいるのか……?
「悪いけど、僕はこんな天国を認めるつもりはない」
「残念です。しかし、あなたでは私には敵いませんよ」
「やってみなくちゃ分からない」
「恐れるばかりのあなたのフォビアで、私の信仰を打ち破れますか?」
ルーシーの余裕に、僕はバイオレンティストと対峙した時の事を思い出した。
僕のフォビアではバイオレンティストを打ち破れなかった。それは……バイオレンティストには強固な信念があったからだ。
暴力こそが全てだという歪んだ信仰に、僕は対抗できなかった。奴が全く考慮していなかった「自然の力」――落雷という雨田さんのフォビアが無ければ……。
いつの間にか、真っ白な光が僕の周りにまとわり付く様に浮かんでいる。
「一度地獄を見て来ると良いでしょう。天国も地獄も、人々が望んだ物だという事がよく分かると思いますよ」
ルーシーの声は優しくて、僕を諭す様だった。
どんなに自分のフォビアを意識しても、白光が消え去る事は無く……。僕はあれよあれよと言う間に白い光に包み込まれて、目の前が真っ白になってしまう。
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