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 そんなある日の事だった。午前十時、僕が自分の部屋で勉強していると、都辻つつじさんが一通の封筒を持って訪ねて来た。いわく、研究所の郵便受けに入っていたと。それは研究所の住所と僕の名前――「向日衛様」だけが書かれた長形4号封筒。差出人の名前は書かれていなかった。

 切手がない……って事は、郵便受けに直接入れられた物って事か? これは怪しいという事で、都辻さんがいるその場で封を開けてみると、一枚の手紙が入っていた。


「何が書かれています?」


 都辻さんは無遠慮に聞いて来る。まだ読んでもいないのに。

 僕は都辻さんに手紙の文面を見せない様に背を向けて、こっそり読んだ。



今日の午後、H神社で待つ。

一人で来い。

一対一で話し合おう。


多倶知



 たったそれだけの短い内容。ブレインウォッシャーが僕と会いたがっている?

 だけど、僕の正体が誰なのかまだ分かっていない様だ。分かっていたら、僕の本名を書いたはず。

 しかし……分かり易い挑発だ。絶対に罠だよ。こんなのに乗る奴がいると思ってるんだろうか?

 まあ行くんだけどさ。お望み通り、行ってやろう。ちょうど僕も一対一で話をしたいと思っていたんだ。


 僕は都辻さんに言う。


「都辻さん、午後からちょっと外出します」

「急ですね。まあ……現状、解放運動は実質壊滅状態ですし、そんなに危険は無いと思いますけど。それで、お手紙の内容は?」

「デートのお誘いですよ」

「えー? どなたから?」

「冗談ですって。本気にしないでください」


 僕は都辻さんを追い返すと、外出の準備を始めた。

 リュック型のビジネスバッグに、スポーツキャップ、それと動き易い服装で、僕はウォーキングしている人を装う。と逆だ。



 午後、昼食を終えた僕は、少し休憩してからH神社に向かった。研究所からH神社までは徒歩で一時間。神社の境内からは僕が通っていたH市北中学校が見下ろせる。

 多倶知も僕が同じ中学校の関係者だという事までは察しているんだろう。でも誰だか分かっていない。名前を教えてやっても、僕の事を思い出したりはしないだろう。僕は奴とは関わらない様にしていたから。


 H神社は小さな山の上にある、余り人の立ち寄らない小さな神社。僕は鳥居を潜って杉林の中の長い階段を上る。一段ずつ踏み締める様に。

 階段を上り切ると、無人の神社がある……。杉の木に囲まれて、いつも日陰の広い境内の中央には、御神木の杉の大樹が堂々とそびえている。御神木だけあって、周囲の杉の木と比べても抜群に高い。

 静かな境内で僕は神妙な空気を感じている。そこに懐かしさが入り混じって、まるで過去に迷い込んだ様な錯覚に陥る。まだアキラが生きていた、あの頃に……。


 僕は神社の周りを左回りにゆっくり歩いて、人の姿を探した。

 ……だけど誰もいない。遅かったって事はないだろう。早かったのか?

 僕が一周して御神木の前に戻って来ると、神社の裏からスッと人影が現れる。……多倶知選証だ。僕は現実に引き戻される。


「約束通り、一人で来たみたいだな。ニュートラライザー」


 多倶知は僕に向かって歩いて来る。僕は顔を上げて、帽子のひさしを親指の腹で持ち上げ、多倶知に顔を見せた。


「人違いじゃなくて良かったよ」


 僕の顔を確認して軽口を叩く多倶知に、僕は言い返す。


「お前こそ、一人で来たのか?」

「ああ、約束は守るさ」

「どうだか」


 それから少しの間を置いて、多倶知が切り出した。


「なあ、お前は誰なんだ? 教えてくれ。同じ中学の奴って事までは分かるんだが」

「……フフッ、ハハハ!」


 余りにも真剣に聞かれたから、僕は笑ってやった。悪役みたいな高笑いになった。こいつ、そんな事を聞くために僕を呼び出したのか?


「本当にバカじゃないのか」

「違うのか?」

「そうじゃない。お前のバカさ加減を笑ってるんだ。そんな事を知ってどうする?」

「確かに、どうにもならないかも知れない。だが、俺はお前の事を知りたい。興味があるんだ」


 僕には多倶知が本気で言っているのか分からなかった。僕を罠にハメるための虚言じゃないのか?


何故なぜ、僕に興味を?」

「お前のせいで俺の計画は大きく狂った。宿敵と言っても良いかも知れない。お前も俺の事をそう思っているんだろう?」

「ああ、そうだな。僕もお前を恨んでいるよ」


 その瞬間、僕と奴の間には奇妙な友情と言うか、連帯の様な物があった。お互いを宿敵と認め合う間柄。敵対しているからこその因縁。

 ……皮肉だな。僕はまたおかしくなって、笑い出すのを堪える。

 僕は言ってやった。


「だけど、お前は僕を憶えてない。名乗ったところで分からないだろう」

「もしかしたら思い出すかも知れない」

「無い。だったら、とっくに思い出しているはずだ。つまり、って事だ」

「今は違う」

「分からないのか? お前がそういう奴だから……」


 こいつは他人を利害でしか見ていないんだ。利用もできない、歯向かいもしない、僕なんかは道端の小石だったんだ。それに躓いて足を挫いてから、ようやく何事かと注目したんだ。


「そんなに知りたきゃ教えてやる。中椎アキラの奴だよ。お前とも一緒のクラスだった」

「あぁ……いや、悪い。まだ思い出せない。中椎ってのは、自殺した奴だったよな? あれに友達なんていたのか」


 しょうがない奴だと僕は二度頷いた。表立ってアキラを庇う事すらできなかった僕には、友達を名乗る資格なんか無いって嫌味なのかも知れないけれど。……それは認めよう。今更そんな事で取り乱したりはしない。僕は卑怯者だった。否定しようもない事実だ。


「彼が死んだ事で、僕のフォビアは覚醒した。お前が何の気なしに殺した人は、僕の大切な友達だった」

「そう……だったのか……?」

「ああ、そうだ。全ては自業自得だ。お前は自分自身の過去の行いに、足を引っ張られたんだ」

「そう……だったのかぁ……」


 多倶知は納得した様に、感慨深そうに、溜息混じりに零した。そして弱々しい自嘲の笑い声を上げた。


「ははは、ははははは」

「そうだったんだよ。フフ、フフフ」


 僕も一緒に笑った。

 そうだよ、多倶知。お前は自業自得で破滅するんだ。他の誰のせいでもない。お前自身の行いが招いた結果で。お前が顧みる事もなかった、無価値な人間のために。

 物の本で読んだ事がある。人は権力が大きくなればなる程、共感能力が失われて、我がままになって、人の心が分からなくなると。フォビアを使いこなして気が大きくなって、他人の事なんか考えなくなった時点で、お前は躓く運命にあったんだ。

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