3
その翌日、僕はカウンセリングで日富さんから予想もしない言葉を受けた。
「向日くん、あなたは女性に興味がありますか?」
「えっ、いきなり何ですか?」
「好きな子がいるとか、Hな事に興味があるとか」
「いや、そんな事は……」
どうしてそんな事を聞くんだろう? 昨日、痴漢を目撃した事と何か関係があるんだろうか?
「以前から疑問に思っていました。向日くんは年頃なのに、性的な事に興味を持っていないのではないかと」
「それの何が問題なんですか?」
「かなり踏み入った話をするので、覚悟してください」
「はい」
日富さんは強い口調で言った。それだけで僕は威圧された様な気がして怯む。
「向日くん、あなたは心因性のSDです。一時は無性愛者か、それとも性的に未熟なだけかと疑いましたが、その可能性は限りなく低いです」
「SDって?」
「性機能不全です」
僕は軽くショックを受けた。それは性機能不全という事実を正面から告げられた事に対する反応……だけど、それ以上の事ではない。
僕には自覚があった。僕はアキラを見殺しにした自分には、恋愛なんて不相応だと思っている。僕には必要のない物なんだ。
「そんなの、今はどうでもいいじゃないですか」
「どうでも良くありませんよ。あなたの将来に関わる事です。だから、余計なお節介を承知で、こうしてお話している訳です」
「今はそんな事、考えられません」
今は……今は自分の事だけに集中していたいんだ。P3の事もあるし、海外のフォビアの事もある。僕にはやるべき事が多い。
「いつなら考えられますか?」
「全部が終わった後です。P3を止めて、大人になって、自分の時間ができたら……」
「自分を受け容れられそうですか?」
「……分かりません。その時にならないと。だから、それまでは放っておいてくれませんか?」
日富さんは少しの間を置いて、頷いてくれた。
「分かりました。時間が解決する事もあるでしょう。今後あなたの環境に変化が起こるまで、私からこの話題を口にする事はありません」
「ご配慮、ありがとうございます」
口ではお礼を言ったけれど、かなり気まずい。いくら心が読めるからって、そこまで踏み入って来られると困る。やっぱり日富さんは苦手だ。
僕は何となく落ち込んだ気分で、その日を過ごした。
恋愛……恋愛かぁ……。仮に誰かと付き合ったとして、僕には他人を幸せにできる自信が無い。そもそも人並みの幸せを求める事が贅沢なんだ。僕の罪を清算できる機会なんて、きっと一生ないだろう。
午後になって、僕は上澤さんに副所長室に呼び出された。また海外からフォビアが来るらしい。今度は男性恐怖症のフォビア。副所長室の小さなスクリーンに、その人の姿が映し出される。サングラスをかけて、帽子を被った化粧の濃い女性。これじゃ素顔が全然分からない。
「彼女はサファリング――『苦しみ』というコードネームで呼ばれている。自分のフォビアを商売に使うプロフェッショナルで、変装の名人でもある」
「何の目的で日本に来るんですか?」
「どうも日本国内の誰かに雇われたらしい。彼女のフォビアは男性に対する恐怖心を煽り、また男性に加虐心を惹き起こさせる」
「答えになってないんですけど……。その人の目的は何なんですか?」
「レディ・サファリングが雇われる目的は、所謂ハニー・トラップだ。女性関係のトラブルを誘発させて、迂闊な男性の権威を失墜させる。何十年も前から何度も日本で確認されていて、また日本だけでなく世界中で活動している凄腕の仕事人だ」
「何十年って……いくつなんですか? そんなにお婆さんには見えませんけど」
「レディ・サファリングは何度も代替わりしている様だ。つまり……人為的に誕生するフォビアだと考えられる」
それを聞いて僕はカーッと頭に血が上るのを感じた。
「P3みたいに海外にもそういう計画があるって事ですか?」
「そうなるな」
超命寺の言う通りだって訳か? 外国は既にフォビアを実用化している? だから超命寺はP3を始めた?
「……ターゲットは誰なんですか?」
誰かを失脚させようとしているなら、当然それなりの立場の人じゃないといけないだろう。政治家・社長・芸能人……色々考えられるけれど、雇われたって事は誰かと敵対関係な訳だ。でも、ターゲットが日本人とは限らないか……。
僕が一人であれこれ考えていると、上澤さんは申し訳なさそうな顔をして言う。
「それが分からないんだ。とにかくレディ・サファリングが入国した事しか分かっていない」
「しかも変装の名人なんでしょう? どうしようもなくないですか?」
「今、公安が依頼者を絞り込んでいる。依頼者が分かれば、ターゲットも自ずと判明するだろう。向日くんにはターゲットの護衛を担当してもらう。そのつもりで待機していてくれ」
「分かりました」
誰が狙われているかは分からないけれど、とにかくレディ・サファリングって人が国内にいるって事だ。
超命寺は正しかったのか? 認められない、認めたくない気持ちと、レディ・サファリングが存在するという否定できない事実の間で、僕は苦しんだ。
心がもやもやして、すっきりしない。嫌な気分だ……。
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