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七階へ向かう途中、僕は携帯電話で勿忘草さんの電話番号をコールする。
コールから数秒後、勿忘草さんが電話に出た。
「もしもし、向日くん? 何か用ですか?」
「昨日のお礼をしたいと思いまして」
「昨日? 何かありました?」
刻さんと似た様な反応をするんだなぁ……。でも勿忘草さんの場合は本気で忘れてそうで怖い。
「ありましたよ。僕がブレインウォッシャーと会うから、そのフォローのために出てくださったんですよね? 刻さんと一緒に」
「ああ、そうでしたね。それで解放運動の人を一人捕まえたんですよ」
「え、そうなんですか?」
「こういうの、怪我の功名って言うんでしょうか? 怪我って言うのは変ですか?」
急な話に僕はびっくりする。上手く当てはまる
……いやいやいや、諺の事はどうでもいい。
「その、捕まえたのって誰なんですか?」
「刻さんですよー」
「そうじゃなくて、誰を捕まえたのかって事です」
「誰でしたっけ?」
「僕に聞かれても……」
相変わらず勿忘草さんの記憶力は頼りない。
……あぁ、違う違う。そんな話をしたかったんじゃないんだ。
「それでお礼の事ですけど」
「お礼? 何の?」
「僕がブレインウォッシャーと会うから、そのフォローのために出かけてくださったんですよね? ですから、何かお礼をしたいと……」
「んー、向日くんのためって訳でもないんですけどね」
「はい。分かっています。それでも……結果的にでもフォローしていただいた事には変わりないので……。お詫びの意味でも」
「気にしなくて良いですよー。私も向日くんには助けてもらってますし」
「そうはいきません。今、お伺いしても大丈夫ですか?」
「今? んー、大丈夫、大丈夫。待ってますね」
僕は通話を終えてエレベーターに乗り込む。とっくにエレベーターの前には着いていたんだけど、その前でしばらく話し込んでいた。
スマートフォンでも携帯電話でも、何かをしながらってのは良くない。良くないんだけど……将来そういう事をやらざるを得ない状況があるかも? 例えば、誰かと通信しながら作戦を実行する様な事が……。まだまだ先の話かな?
七階に着いた僕は、ロビーで一休みしてから勿忘草さんの部屋に向かう。
少し間を置くのはマナーだ。今から行きますと言って、本当にすぐ行って良い場合と悪い場合がある。勿忘草さんは来客の準備なんかしていなかっただろうから、五分ぐらいは猶予があった方が良いだろう。そう考えた。
勿忘草さんの部屋のドアチャイムを鳴らすと、すぐに勿忘草さんがドアを開けて迎えてくれる。
「どうぞ、上がってください」
「失礼します」
お礼の事もあるし、捕まえた超能力者の話も聞きたかったから、それなりに時間を要するだろうと思って、僕は素直に勿忘草さんの部屋に上がる。
良い匂いがする。何の匂いだろう? 化粧品? 香水? 芳香剤?
……そう言えば、女性の部屋に上がるのって初めてだな。意識すると落ち着かなくなって来た。
部屋の構造自体は、僕の部屋と変わらない。まあ当然だけども。大きな違いは全体に落ち着いたピンク色の壁紙が貼ってある点。テーブルにはお洒落なクロス、小物は大体フリフリしている。何と言うか……女の子の部屋だ。
僕はテーブルを挟んで勿忘草さんと向かい合って座った。
「えー、改めて……昨日はありがとうございました」
「はい。どういたしまして……? 私、向日くんに何もしてないんですけど、良いんですか?」
「良いんです。これはほんのお気持ちです」
僕は紙袋を勿忘草さんに差し出す。
勿忘草さんは丁寧に受け取って頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえ、お礼を言うのは僕の方で……。ところで、捕まえた解放運動の人について聞きたいんですけど」
「それは……あ、紅茶どうですか?」
「いや、大丈夫です。それよりお話を」
「名前までは知らないんですけど、風邪のフォビアを使う人でした」
「かぜ?」
「病気の風邪です。咳と発熱で動けなくなるんです」
「そっちの風邪……」
そういうフォビアもあるんだな。荒風さんみたいなフォビアを想像していたけど、全然違った。
「そんな危険なフォビアの持ち主をどうやって」
「私のフォビアを使ったんです。何をしようとしていたのか、何をしたかったのか、何をするべきだったのか、全部忘れたら何もできませんよね」
一番危険なフォビアの持ち主は勿忘草さんじゃないかと思う。
「その風邪の人は今どこに?」
「C機関です」
「ああ、C機関……。どうするつもりなんでしょう?」
「刻さんは捕虜交換をしたいって言ってましたよ」
「開道くんと?」
「そうだと思います」
本当に開道くんと交換できれば良いんだけど。果たしてC機関が同意してくれるんだろうか?
「C機関は……交換って、どう考えてるんでしょうか?」
「あちらから何か言って来ても大丈夫ですよ。だって、その人を捕まえられたのって私のフォビアがあったからなんです。実際に取り押さえたのも刻さんですし」
勿忘草さんは時々堂々と自分のフォビアを誇示する。
この人こそC機関が必要としてる人材じゃないのか? でもF機関にいるって事は本人が望んでここにいるのかも。……僕みたいに。
「分かりました。お話、ありがとうございました」
「どういたしまして」
聞きたい事も聞き終わって、さあ帰ろうと僕が席を立つと、勿忘草さんがぽつりと言う。
「向日くん、また前みたいに皆で一緒に出かけられる様になりますよね」
「なりますよ。そのために解放運動と戦ってるんです」
僕は堂々と答えた。
開道くんを取り戻す事ができれば、心置きなく解放運動と戦える。どんな超能力者が相手でも、僕は絶対に負けない。
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