エンピリアン

1

 僕達三人はその日の内に精密検査を受けて、解放された。三人共、診断結果は異常なし。一週間は安静にしている様にと言われただけだった。

 自分の部屋に戻った僕は、後頭部のコブを撫でて溜息を吐く。

 ……とにかく、モーニングスター博士は死んだんだ。後は娘のエヴァンジェラって人が、どう動くか……。いや、もしかしたら全然関係ない人が、モーニングスター博士の後継者なのかも知れないけれど。





 その翌日、僕がカウンセリングルームを訪れると、ドアに貼り紙がしてあった。


――休業中。御用の方はメディカルセクション受付で言付をお願いします。


 どうやらお休みらしい。体調が良くないのかな? 大事を取って、診断結果の通りに安静にしているだけならいいんだけど……。

 はぁ、ここで考えていてもしょうがない。

 僕は自分の部屋に戻って、勉強を始める事にした。



 安静にしていろと言われたから、外に遊びに出る訳にもいかず、僕の行動範囲は久遠ビルディングの中に限られる。

 だけど、それは他の人達もそんなに変わらない。いつの間にかモーニングスター博士が入国して潜伏していた様に、日本だからって油断はできないんだ。解放運動が健在だった頃みたいに、また外出制限が厳しくなっている。

 子供達は僕の部屋に集まってゲームをしたり勉強したり……って、これは余り変わらないな。幾草も大学の授業が無い日は、僕の部屋に遊びに来た。

 子供達と幾草はすぐに打ち解けて仲良くなった。大学生の幾草は、子供達からは僕よりも大人びて見えるらしい。実際に一年だけ上なんだけれど、僕から見ても大学生の幾草は高校生の時とは違って映る。何がどうって聞かれても困るんだけど、垢抜けたと言うか、余裕ができたと言うか……。

 勉強漬けの日々から解放されて、精神的に楽になったのかな? 僕も普通に高校に通えていたら……いや、やめよう。どうしようもない事だ。

 僕は小さく首を左右に振って、落ち込んだ気分を振り払う。





 そして一週間後――上澤さんの呼びかけで、研究所のフォビアの人達は全員、三階の会議室に集まった。頭のコブも少しずつ引っ込んで来た頃。そろそろモーニングスター博士の関係者に何か動きがあったんだろうかと、僕は予想する。


「諸君、今日はモーニングスター博士と彼の協力者の事で話がある。今後、モーニングスター博士の関連人物を『エンピリアン』と称する。エンピリアンとは神々の住まう場所、『至高天』――平たく言えば天国の事だ。古くはギリシア神話の時代から、ローマ神話、そしてキリスト教にも、その概念は引き継がれた。モーニングスター博士は自らエンピリアンを名乗った。つまり……天国の住人という事だな」


 エンピリアンって、そういう意味だったのか……。天国の住人にしては物騒な人だったけれど。


「今後エンピリアンは私達を狙って来ると思われる。申し訳ないが、エンピリアンを完全に叩き潰すまで、外出制限は続くと思ってくれ」


 そこで増伏さんが質問をした。


って……狙われる理由は何ですか?」

「諸君のフォビアだ。フォビア自体を狙って来る」

「狙うって、どうやって?」


 さっぱり分からないという態度の増伏さんに、上澤さんは一度大きく頷く。


「詳細は省くが、エンピリアンは強化された共感能力を持っている。それによってフォビアを持つ者を捕捉して、能力を。肉体的に接触する必要もなく、発動の瞬間を見る必要さえもなく、無意識の深層からフォビアを読み取って使える様になるんだ」


 そんな事ができるのかと、誰もが驚いていた。勿論、僕もだ。


「この肉体的な接触を必要としないという特長は、非常に厄介だ。おそらくは相互の脳波が干渉し合う範囲内でなければならないが、学習後は自由にフォビアが使えると思われる。更に厄介な事に、複数のフォビアを同時に使う事ができる可能性が高い。そういう訳で……皆、外出制限に協力してくれるとありがたい」


 協力するしかないだろうと、僕は黙って頷いた。

 数秒の沈黙を挟んで、船酔さんが小さく挙手して上澤さんに質問する。


「その……学習された側は、どうなるんですか? フォビアを失うとか?」

「いや、そんな事は無い。コピー&ペーストと考えてもらっていい」

「分かりました」

「だが、能力を失う事が無いからと言って、軽く見られては困るぞ」

「分かってます、分かってますよ」


 険しい言い方で釘を刺した上澤さんに、船酔さんは弁解する様に応えた。その上で船酔さんは改めて質問をする。


「ですが……そんな連中と、どうやって戦うんですか?」

「現在、対策を講じている最中だ。少なくともフォビアとの相性は最悪。皆、絶対に戦おうとは思わない様に。私の話は以上だ。向日くんは残ってくれ。それでは解散」


 上澤さんの解散の号令で、皆は溜息を吐きながら退室して行った。外出制限が続く上に、解決の目処も立っていないとなれば、がっくりもするだろう。

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