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 所謂いわゆるお偉いさん方の畏怖した態度に満足したのか、教主は満面の笑みを浮かべて深く頷いた。


「ご理解いただけた様で何よりです。私としても、これまでご支援いただいた方々を見殺しにはしたくないと思っておりますので」


 それは本心だろうけど、善意と言うには邪悪過ぎる。

 来賓席の人達は青ざめた顔をして、席に座り直した。今から神を信じる気になったんだろうか? カルト宗教を都合好く利用しようって時点で、まともな大人とは言えないけれど、これには同情する。


 ……さて、もう終わりなんだろうか? 僕は小さく息を吐いた。

 この宗教団体は確かに暴走していると言えるだろうけれど、こんなのに破防法を適用できるんだろうか? 肝心の犯行予告はテレパシーだったんだけど、どう処理するつもりなんだろう? テレパシーだから録音しようがない。逮捕しようにも証拠にはならないぞ。

 僕の心配を余所よそに、司会進行役の人が閉会の挨拶をして、全国集会は終了した。

 結局、天衣さんがどこにいるのか分からなかった。


 僕はのろのろ歩きながら、先に退出する人達を見送って、一人一人の顔をチェックする。天衣さんも表向きは信者として行動していたから、客席を埋めるために紛れ込んでいたかも知れない。

 その時、僕はサングラスをしている怪しい男性を見かけた。そんなに明るくもない室内でサングラスをかける事、それ自体が不自然だ。……こいつ、もしかして吸血鬼じゃないか? 身長も体格もこんな感じだったと思う。解放運動の人達も、教主の命令で動員をかけられたんだろうか?

 そうなると、クモ女とか他の奴等も館内にいた事になる。ここで会ったが百年目――と言いたいとこだけど、本来の任務を忘れちゃいけない。今は天衣さんを探さして保護しないと。それに僕一人がこんな所で暴れても、大勢で取り押さえられてしまうのがオチだ。

 カルト宗教と言っても、まだ違法な事は何もしてない訳だし、僕の方が犯罪者扱いされてしまう。



 天衣さんを見付けられなかった僕は、しかたなく武道館の外に出た。そして人目の付かない所に移動して、携帯電話で笹野さんに連絡する。


「向日くん、天衣夢は無事に回収できたか?」

「分かりません。少なくとも館内に天衣さんはいなかったと思います」

「いなかった?」

「はい。公安の人にも確認してみてください」

「分かった」


 胸騒ぎを感じた僕は、すぐに笹野さんの元には戻らずに、武道館の周辺を見て回る事にした。何かあった時に備えて、笹野さんには断りを入れておく。「ちょっとその辺を見てから戻ります」と。本当は直接言いたかったんだけど、かけ直した時は既に通話中だったからメールにしておいた。多分、公安の人と話をしているんだろう。



 僕は武道館の裏手に足を運ぶ。その途中で一人の男性が僕の前に立った。


「どこへ行こうとしている?」


 どう言ってごまかそうかと僕は考える。そもそもこの人は誰なんだ? 公安の人なら味方だけど、もし全教一崇教の関係者なら……。


「東京に来るのは初めてなので、武道館をじっくり見て帰ろうと思いまして」


 これなら怪しまれないだろう。良い言い訳だと僕は内心で自画自賛していた。本当は東京に来るのは初めてじゃないんだけど、東京中を知り尽くしている訳じゃない。日本武道館を訪れるのも初めてだし、実質初めてみたいな物だろう。

 男性はムッとした顔で僕に言う。


「ここから先は関係者以外立入禁止だ」


 えーと、こういう時のために公安の人達だけに通じる合言葉があったはず。確か「ヒロノギ」と言えば分かるって。


ですか?」

「ヒロノギ?」

「違いましたか……」

「いや、待て。もしかして、お前はニュートラライザーか?」

「ニュートラライザー?」

「俺は公安の成場なりばだ」


 ああ、公安の人だったのか……。僕は緊張を解いて、小さく息を吐いた。

 次の瞬間、僕の頭上に影が差す。公安の人が真っ黒なカーボンスチールの警棒を取り出して、僕の脳天に振り下ろそうとしていた。

 僕は反射的に頭を守ろうと背を屈めて両腕を上げる。腕に鋭く重い痛み。直撃を受ける寸前で、僕の頭は守られた。

 舌打ちが聞こえる。


「何を……」


 動揺する僕に公安の人は何も答えない。操られているのか? それなら無効化のフォビアで何とかできるはず。

 僕は慌てて跳び退き、公安の人を睨んで自分のフォビアを意識した。だけど、公安の人は全く動じずに再び僕に向かって警棒を振り上げる。フォビアが効いていない!?

 でも二度目は食わないぞ。僕は敢えて前に出て攻勢に入った。もしかしたら公安の人だって言ったのは嘘かも知れない。不本意だけど、ぶちのめすしかない。こういう時のために殺人術を習ったんだ。

 まず警棒を片腕で受け流し、それから……。顔・喉・水落・肝臓・股間――どこを狙えば良いんだ? 顔か? 僕は迷いながら拳を前に突き出したけど、狙いも定かじゃない拳は簡単に避けられて、逆に腕を取られて投げられてしまった。


「わ……」


 僕は叫ぶでもなく、情けない声を漏らしただけ。体が宙に浮いて、視界がぐるりと回転する。見事に背負い投げを決められてしまった。背中から地面に叩き付けられ、体全体に衝撃が走る。ダテ眼鏡が外れて飛ぶ。そこまで痛くはなかったけど、一瞬息が詰まった。

 心は動揺しっ放しだ。動きが速い。この人、格闘術の心得があるのか!? 素人の僕じゃ勝てそうにない。

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