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 あの東京での惨事から一週間……テレビのニュースは今でも停電時の混乱の凄惨さを語っている。死亡者は累計で一万人を超えた。ホームレス、家出人、そうした決まった住所を持たない、戸籍もあやふやな人の被害が予想外に多かったそうだ。夜の闇から身を守る方法を持たない弱い人達……。

 深夜だったから、ぐっすりと眠っていた人は逆に無事だった。専門家の話では野犬は逃げる者を負うからという事だったけど、そうじゃない。本当は恐怖心がフォビアを強くするから……。

 霧隠れとブラックハウンドは死んで当然の人間だったんだろうか? 死ねば罪は無かった事になるんだろうか? ……じゃあ、生き残ったワースナーは?

 僕は耐えられなくなってリモコンを手に取り、テレビの電源を切る。

 やめよう、やめよう。ネガティブな気分になるだけだ。僕は何度も首を横に振る。考えない様にしよう。誰もが心に傷を負って生きている。誰が良いとか、悪いとか、そんな事は忘れよう。



 その日の午後、昼食を終えて自分の部屋に戻ろうとしていた僕は、浅戸さんと喪服みたいな真っ黒な帽子と服を着た女性が二人で歩いているのを見た。

 誰だろうと僕は女性に注目する。

 浅戸さんの彼女? ちょっとそうは見えないな。研究所のお客さんかな? 誰かの家族だったりするんだろうか?

 そう思って見ていると、浅戸さんが僕を見て言う。


「おぉ、向日くん。彼女を部屋まで送って行ってくれないか?」

「え……」

「そんな嫌そうな顔をしないでくれよ」


 嫌そうな顔なんてしてないつもりだけど。ただ少し驚いただけで。


「部屋までって、この人は……?」


 この人は誰で、どこの部屋に連れて行けば良いんだろう?

 困惑する僕に浅戸さんは苦笑いして答える。


「初堂さんだよ」

「えっ、初堂さん? 何でそんな服を……」


 あっ、今のは失言だったかな? 黒い服を着て外出していたって事は、誰かのお葬式に出ていたのかも知れない。

 気まずい顔をする僕に、初堂さんは小さく笑って答えた。


「吸血鬼にお別れをしに行ってたの」

「吸血鬼って、吸血鬼ですか?」

「そう、吸血鬼。もう会う事はないから」

「会う事はないって……」


 僕の知らない間に、吸血鬼は殺されてしまったんだろうか? 上澤さんの話では、超法規的措置が取れる様になったとか何とか……。だからって、そんなに簡単に殺せてしまうのか?


「初堂さんは吸血鬼と知り合いだったんですか?」

「そうじゃないけれど……。道々話しましょう」


 初堂さんは先にエレベーターに乗る。浅戸さんは初堂さんには付き添わず、引き返して外に出て行ってしまった。

 僕は浅戸さんに頼まれた通り、初堂さんと一緒にエレベーターに乗って、部屋の前まで付いて行く。


 エレベーターの中で初堂さんは話を続けた。


「私のフォビアは……死神のフォビア。私に魅入られた人は不幸になる」


 僕はどう反応したら良いのか困った。気取って言ってる訳じゃないなら、どんなフォビアなんだろう?


「小さい頃、私と親しかった男の子がいて。ある日その子が事故で死んじゃったの。私のせいで。それがトラウマ。私と一緒にいると不幸になるんじゃないかって不安が消えなくて……何度もその通りになってしまって。多くの人を不幸にして来た」


 そんなのは偶然だ、思い込みだと言いたかったけれど、それが現実になってしまうのがフォビアだ。

 エレベーターが止まって、僕と初堂さんは五階のフロアに降りる。部屋まで歩きながら初堂さんは続けた。


「私こそがF機関の最終兵器。吸血鬼は死んだわ。もう二度と私達の前に現れる事はないでしょう」


 どこか悲しそうな声。僕は恐ろしいと思うより、この人もまたフォビアで苦しんでいる一人なんだと感じた。強力なフォビアを持ちながら、C機関じゃなくてF機関にいるのも、そういう事なんだろう。自分のフォビアを役に立てるよりも、失くしてしまった方が良いと思っている。

 僕のフォビアはこういう人のために役立てるべきだ。だから僕はC機関じゃなくてF機関にいたいんだ。


 初堂さんの部屋の前まで来て、そこで僕と初堂さんは別れる。……僕が送る必要があったかな? そう思っていると、最後の最後に初堂さんは言った。


「ありがとう、向日くん」

「いえ、どういたしまして……?」


 何だ? 僕が何の役に立ったんだ? お礼を言われる様な要素があったか?


「あの……向日くん」

「はい」

「……ごめんなさい、何でもないから」


 何を話そうとしていたんだろう? 深く追及しない方が良いのかな?

 とにかく……とにかく、吸血鬼は死んだ。初堂さんが言い切ったからには、そうなんだろう。だけど、まだ終わりじゃない。少なくともブレインウォッシャーをどうにかするまで、僕が安心する事はない。

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