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 その日の午後一時、僕の携帯電話に上澤さんからのメールが届いた。内容は簡潔。「このメールが届いた者は午後三時に三階の会議室に集合」という、それだけの物。

 解放運動や開道くんの事について説明があるんだろうと僕は推察した。どんな話をされるんだろうと考えると、何も手に付かない。

 僕は会議室に向かうまでの二時間、勉強しようとしたけど集中できずに悶々として過ごす。そうこうしている内に三時前になって、僕は自分の部屋を出た。



 僕が会議室に入って来た時は、十人ぐらいしか集まっていなかったけれど、五分後には寮にいるフォビア持ちの人が全員揃った。普段は姿を見かけない、初堂さんまでいる。……幾草はフォビアじゃないから、この場にはいない。つまり……ここに集められた人達は、僕を含めて全員が解放運動と戦うんだろう。そうじゃなければ、幾草だけ除外する意味が分からない。

 三時十分、副所長の上澤さんが入室して室内を見渡す。人の声でざわめいていた会議室が、しんと静まり返る。


「全員揃っているな。では話を始めよう。既に知っている者もいると思うが、最近新しく寮に入った背後恐怖症のフォビア、開道莫くんが解放運動に連れ去られた。彼を取り戻すのは、私達でなければならない。今後、私達は開道莫の奪還を第一目標に、全力を挙げる」


 上澤さんの声は真剣で、まるで演説みたいに僕達全員に訴える。それから上澤さんは会議室のホワイトボードに黒いペンで字を書き始めた。


「さて、事が起こったのは昨日の正午だ。開道くんが無断でビルの外に出た。そこへ偶然、外出から戻って来た向日くんとC機関の兎狩が鉢合わせ、開道くんを止めようとした。しかし、開道くんは向日くんをフォビアで攻撃して気絶させ、兎狩の追跡も振り切って姿を消した。推測ではあるが、開道くんは正常な精神状態ではなかった可能性が高い。私は吸血鬼の後催眠暗示ではないかと疑っている」


 上澤さんは棒人間を描いて状況を絵的に説明したけど、話すのに合わせてるから絵が雑になってて全然分からないぞ。


「C機関の兎狩は負傷して病院送りになった。具体的にどの様な状況だったかは不明だが、戦闘能力には定評があった彼でも、単独では敵わなかった訳だ。作戦を遂行する際には十分に注意してもらいたい。そして、今後はここの守りにも一層気を付けなければならない」


 上澤さんは一息吐いて、改めて室内の全員を見回す。


「ついては、今この場で攻守のリーダーを指名する。復元! こちらから打って出る時は君が作戦の中心になれ。頼んだぞ」

「はい」

「諸人! 私や所長が不在の場合、君が防衛の指揮を執るんだ」

「任された」


 復元さんと諸人さんをリーダーに指名した上澤さんは、室内を見回した後で、もう一度大きな溜息を吐く。


「他に言う事は無いな。以上、解散」


 上澤さんが退室すると、皆もまばらに席を立ち、ぞろぞろと会議室を出て行く。

 僕も立ち上がろうとしたところ、皆井さんに軽く肩を叩かれた。


「よっ、向日くん。君も戦うんだな」

「はい。まあ、そうなりました」


 皆井さんは気安く呼びかけてくれるけれど、まだ人の視線は怖いみたいだ。僕とも微妙に目を合わせようとはしない。


「開道くんの事、責任を感じているのかい?」

「それなりには」


 皆井さんはそっぽを向いて続ける。


「気負い過ぎるなよ。誰も君が悪いとは思ってないし、責任を取らせようとも考えちゃいない」

「それでも僕は――」


 戦わないといけない。今までの平穏を取り戻すためにも。自分の責任だから何とかしようっていうネガティブな気持ちじゃなくて、皆のために戦いたいっていうポジティブな気持ちだ。

 皆井さんは両目を閉じて俯いた。


「本気で決心したなら止めはしない。俺が何を言ったところで無意味だろうからな。だけど、無理は禁物だ。途中でやめても良いんだ」

「そんなつもりはありません」


 僕は決意を軽く見られたと感じて反発する。

 皆井さんは苦笑い。


「悪かったよ。茶化そうとか、そういう気は無かった。クモ女の時は活躍したって聞いてる。頼りにして良いんだな?」


 僕は一瞬答えに詰まった。

 堂々と任せてくださいと言える程、自信がある訳じゃない。でも、ここで強がらないと全部が嘘になる気がした。


「はい」


 僕は口角を上げて笑いながら言った。

 皆井さんは口笛を吹く。


「言ったなぁ。ははは、良いぞ。自分に自信が無いよりは断然良い。だが、何事も程々にな」


 最後に皆井さんは僕の背中を軽く叩いて、会議室を後にした。

 気を遣われたんだろうか? 本当に頼りにしてもらえる様に努力しないと。

 僕は小さく息を吐いて前を向く。


 あっ……ホワイトボードって誰が消してるんだろう?

 絵が雑なお蔭で関係者以外には何が書いてあるのか分からないだろうけど、他人に見られても良いとは思えなかったから、僕はお節介を承知で消しておいた。

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