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僕は立ち上がると、家事手伝いの川本さんに駆け寄った。勢い良く突き飛ばしてしまったから、それで怪我をしていないか心配だったんだ。
「川本さん、大丈夫ですか?」
「いや、あの、私よりも……」
「僕は大丈夫です。少し肩が痛むだけです」
今は興奮して余り痛みを感じていないだけで、後から激しく痛み出すかも知れないけれど……少なくとも重傷ではないと思う。
少し間を置いて、軽乗用車の運転手が恐る恐ると言った感じで降りて来る。髪は白髪交じりで、顔には深い皺があり、五十ぐらいのおじいさんとおじさんの中間ぐらいの年齢に見える。
「あの、済みません、大丈夫ですか?」
運転手は申し訳なさそうな態度で、おずおずと僕に声をかけて来た。
僕は眉を顰めて答える。
「大丈夫ですけど、あなた居眠りしていたでしょう?」
「ああっ、それは……はい、済みません……。意識が朦朧としていて……。で、で、でも、最後はブレーキをかけたんです!」
運転手の目は泳いでいて、言葉もしどろもどろだった。
「どうか……どうか免許取り上げだけは勘弁してもらえませんか?」
「それは僕が決める事じゃないです」
もしフォビアのせいで事故が起きたのなら、この人は半分被害者みたいなものだ。それでも事故を起こした以上、全くの無罪とはいかない。
急ブレーキの音と川本さんの悲鳴を聞き付けて、野次馬と警察の人がぞろぞろと集まって来る。運転手はその場にしゃがみ込んで、頭を抱えて小さくなった。
僕は確認のために、川本さんに質問する。
「川本さんも、どうして車に気付かなかったんですか?」
「どうしてって……」
「僕がいなかったら、あなたは本当に死んでましたよ」
「ご、ごめんなさい……」
川本さんは涙目で謝った。
いけない。責める様な口調になってしまった。そうじゃない。僕はフォビアの影響があったかどうかを確認したいんだ。
「いや、謝って欲しいんじゃなくて。あの時に何を考えていたんですか? 僕は二回呼びかけましたけど、一度目は聞こえませんでしたか?」
「ごめんなさい……」
「違うんですよ。謝らなくていいです。僕が知りたいのは、あなたが反応しなかった理由です。考え事をしていましたか?」
「わ、分かりません……」
僕が小さく溜息を吐くと、川本さんはビクッと身を竦めた。怒っている訳じゃないんだけど、そう受け取られてしまったみたいだ。参ったなぁ……。
川本さんが分からないって言うのも、しょうがないのかも知れない。川本さんも軽乗用車の運転手も、フォビアの影響で注意力を散漫にさせられていたんだろうか?
一つ気になるのは、僕のフォビアが効いたのか効かなかったのかという事だ。交通事故がフォビアによって引き起こされたのなら、僕の無力化のフォビアで川本さんに注意力を取り戻させたり、軽乗用車の運転手を居眠りから目覚めさせたり、何かしら事故を防いだり、被害を軽減させる事ができたはずだ。
もしかしたら、交通事故のフォビアは僕のフォビアより強いのかも知れない。バイオレンティストみたいに。そうじゃなかったら……フォビアじゃなくて、本当に偶然の事故だったのか?
だけど、四件連続の事故が偶然とは思えない。敵は手強いと認めるべきだろう。
警察の人の事情聴取に、僕は軽傷をアピールして、余り重い罰を与えない様にお願いしておいた。軽乗用車は余りスピードを出していなかったし、川本さんも注意が足りなかった。それでも普通なら車が10:0の割合で悪いんだけど、即免許停止にする程じゃないんじゃないかと思う。
最近ここでは事故が多発しているし、偶然では片付けられない何かがあるんじゃないかとも言っておいた。少なくとも僕は民事で運転手を訴えるつもりはない。
僕と家事手伝いの川本さんは、一時間ぐらい警察の人達と話をして、それから改めて廉市議員の邸宅に向かった。
幸い、買った物がダメになったりはしていなかった。卵が何個か割れてしまっていたけれど、ちょっとヒビが入ったぐらいで、ぐちゃぐちゃになった訳じゃない。
しばらく買い出しをしなくても済む様に、
廉市議員の家に着くまでの間、僕と川本さんは言葉を交わさなかった。
何となく気まずい。でも、ここで口を開くとまた川本さんを責める事になりそうで気安く話しかける事が難しい。お互いに大した事は無かったんだから、それで良かったで終わらせるべきなんだけれど……。
無事に廉市議員の邸宅に帰り着いた僕は、取り敢えずは川本さんに付いて玄関まで移動して、そこに買って来た物を置く。そして家の中にまでは入らずに、そのまま外の警備についた。
中庭で拳さんが僕に話しかけて来る。
「どうだった?」
「どうもこうも……事故に遭ってしまいました」
「無事だったのか?」
僕の返事に拳さんは驚いた顔をする。事故に遭った割には、そんなに重傷を負った訳でもなく戻って来たからかな?
僕は少し痛む左肩を押さえて答える。
「全く無事だったって訳じゃないですけど、まあ軽傷で済みました」
「やはりフォビアか?」
「よく分かりません。ただ、フォビアだとしたら……かなり手強いです」
「手強い?」
「無効化が……もしかしたら、余り効かないかも知れません」
拳さんは真顔で黙り込んだ。近くで話を聞いていた眠さんは心配そうな顔をする。
僕は改めて発言する。
「もし相手の狙いが議員を家に閉じ込めておく事だとしたら――」
「しかし、交通事故のフォビアで何ができる?」
「飛行機とかヘリを家に墜落させる……とか? いや、本当にそんな事ができるか分かりませんけども」
その日は何も起こらずに済んだけれど、僕達の心の中には大きな不安が残った。
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