2

 そして例の土曜日を迎える。外出届を事務所に提出した僕は、一人で研究所を出てH市の住宅街へと出かける。

 これから向かうのは中椎家だ。中椎アキラが自殺してから、僕は初めて彼の両親と会おうとしている。

 アキラの家は一般的な一戸建ての住宅だった。僕は記憶を頼りに、アキラとの思い出を振り返りながら街を歩く。ただ歩いているだけなのに決意が揺らぐ。気が重い。

 確かにアキラの死は大きなショックだったけれど、彼の葬儀にも出なかったのは良くなかった。僕は彼の両親に合わせる顔が無かった。親友面しておきながら何もできなかった僕は、彼の両親に責められる事を恐れていた。今なら合わせる顔があるって訳じゃない。責められる覚悟があるというだけだ。

 それでも決意が揺らぐのは……責められる事よりも、責められる事で許されようとしている自分に気付いたからだ。許されようとしているから、責められるのも怖くはない。恥知らずで打算的な僕……。

 だけど、止まる訳にはいかない。どっちにしても僕が最低な人間だというのは変わらないなら、少しでも前を向くよ。許されなくてもいい。

 覚悟を決めるっていうのは、そういう事だ。


 中椎家に着いた僕は、閉じた門の前で立ち止まる。鉄柵の門には鍵がかかっている上に、インターホンも無い。表札も外されている。留守にしてはおかしい。

 僕は偶々近くを通りかかった犬の散歩をしているおばさんに話を聞いた。


「済みません」

「何?」


 おばさんは警戒した顔で僕を見る。犬も僕を睨んで低い唸り声を上げている。

 僕は構わず話を続けた。


「その、中椎さんのお宅は……ここでしたよね?」

「中椎さんなら引っ越されましたよ。半年ぐらい前に」

「ど、どこへ?」

「さあ? そこまでは」


 そう言うとおばさんはそそくさと立ち去った。

 引っ越したって? 悲しい思い出が残る街で暮らしていく事はできないと思ったんだろうか……。当然、アキラの遺骨も市内の霊園に埋葬せずに一緒に持って行ったに違いない。

 僕は深い溜息を吐いて、途方に暮れる。許されるとか許されないとか、それ以前の問題だった。だけど、引っ越されたからしょうがないと言うつもりはない。迷惑だと思われるかも知れないけれど、どうにか引っ越し先を突き止めて、アキラのお墓に手を合わせる。それができない内は、僕は彼の親友どころか友人を名乗る資格も無い。


 当てが外れた僕は、一度両親のいる家に帰ってみる事にした。今日は土日だから、誰もいないって事は無いだろう。もしかしたらアキラの両親がどこに引っ越したのか知ってるかも。そんな淡い期待を込めて、僕は久し振りの……本当に本当に久し振りの家路につく。

 僕の家も一般的な一戸建ての住宅だ。広くも立派でもないけれど、大切な我が家。もう我が家っていう言い方はおかしいかな?

 懐かしい気持ちで玄関のチャイムを鳴らす。試しにドアに手をかけてみると、鍵はかかっていなかった。

 僕はドアを開けて家に上がる。


「ただいま! 父さん、母さん!」


 靴を脱いで家に上がると、母さんがキッチンから出て来た。

 母さんは驚いた顔で僕を見る。


「勇悟! どうしたの?」

「ちょっと近くを通ったから、どうしてるかと思って」

「連絡してくれれば良かったのに」

「そんなに長居しないから……。父さんは?」

「いるけど、呼んで来る?」

「いや、いいよ。元気だった? 何か変わりはない?」

「なんにも。そっちこそ、どうなの?」

「こっちも特には」


 久し振りに母さんの姿を見て、少し安心する。元気そうで良かった。定期的に電話で連絡を取り合っているけれど、声を聞くだけじゃ分からない事がある。


「良かった。元気そうで」


 母さんはしんみりした声で言う。

 そうだね……。自分でも元気になったと思う。完全に立ち直るには、まだまだ時間がかかりそうだけど。


「まあ、そんな訳で……こっちはこっちでやっていけてるから。心配しないで」


 僕は電話で何度同じ事を言っただろう。元気だから心配しないでと。

 母さんは小さく頷いた。続けて僕は尋ねる。


「ところで……母さん、アキラの――中椎さんは引っ越したの?」


 母さんの表情が少し曇る。


「ええ。もうこの街にはいられないって。今、いじめの件で中学校を相手に裁判を起こしてるみたい」

「どこに引っ越したとかは……」

「教えてもらえなかったわ」

「そう……。じゃあ、そろそろ研究所に帰らないといけないから」

「もう行くの?」

とどけには午前中の外出だって書いたから。今度はもっと時間が取れた時に帰るよ」


 寂しそうな顔をする母さんに、僕は適当な事を言ってごまかした。家に長くいると里心が付いてしまう気がする。それは今の僕にとっては良くないと思う。

 そそくさと家を出た僕は研究所に足を向けた。僕が本当に帰るべき場所は、どっちなんだろう?


 帰り道、僕はアキラの両親についてずっと考えていた。アキラの両親はいじめと自殺の真相を知りたくて裁判を起こしたんだろう。学校の責任も確かにあると思う。

 だけど……本当の原因は多倶知の洗脳のフォビアだ。それは裁判を起こしたところで明らかになる事はない。そして当の多倶知も今はもういない。

 もし……もし、僕が本当の事を話したら、アキラの両親は信じてくれるだろうか? 頭のおかしい事を言っていると思われるのがオチだろうか? それとも、ふざけた話だと怒られるだろうか?

 それでも……僕には真相を語る義務があるんじゃないかと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る