5

 S局のスタジオを後にした僕と諸人さんは、一度ホテルに戻った。そして浅戸さんを含めた三人で、諸人さんの部屋に集まって話し合う。


「取り敢えず無効化はしましたけど、あれで成功って言って良いんでしょうか?」


 僕は真っ先に切り出した。ブレインウォッシャーは自分の周囲にいる影響力のありそうな人から洗脳して行くだろう。そうやって少しずつ人伝に影響範囲を拡大して、グループの中心人物になる。……あの時の様に。大勢の人をを煽動する必要は無い。芸能界から政財界に近付けば、一息に日本の中枢を支配できる。とても楽観していられる状況じゃない。

 僕の懸念に浅戸さんが答える。


「奴は洗脳に失敗した。その事実さえあれば十分だ。これからは洗脳の実行に慎重になるだろう」

「でも、それだけじゃ……」

「冷静になってくれ。洗脳と言っても万能ではない。表面的な心理や行動を操る事はできても、心の中――本心まではそう簡単には変えられない。洗脳が解ければ、思考や行動は元に戻る。他の超能力と同様に時間や距離の制限もある」


 それは確かにその通りだ。大原美暖も洗脳が解けた瞬間に、ゴキブリを素手で触った事実を認識して気絶した。


「つまり洗脳で思い通りにできるのは一時的に過ぎない。無理な事をさせれば、必ず疑念を持たれる」


 ……そう考えると、そこまで脅威ではない気がする。いや、でも転校生が僕のクラスを支配したのは事実だ。安心していちゃいけない。

 僕は諸人さんと浅戸さんに、ブレインウォッシャーの正体を明かした。


「諸人さん、浅戸さん……僕はブレインウォッシャーを知っています」


 二人はどういう事かという目で僕を見る。


「ブレインウォッシャーは多倶知です。多倶知選証」

「誰なんだ、それは?」


 浅戸さんの問いに、僕は答える。


「僕の同級生……元同級生です。僕が通っていた中学に転校して来た、転校生」

「――って事は、相手も君を知っているのか?」

「いいえ、僕の事は分からないみたいでした。会った事があるかも知れないぐらいの認識っぽいです」


 そこで奇妙な沈黙が訪れる。まあ……ブレインウォッシャーの正体が分かっても、だからどうしたって感じだからな。僕には因縁があるというだけで。


 その日の内に僕達は新幹線で東京を離れた。僕達の正体は分からないままだろう。チケットを取ったのも僕達じゃないし、わざわざ服装を変えた上で観覧して、すぐにまた着替えて帰ったんだから。加えて諸人さんのフォビアもある。

 そんな事よりも、ブレインウォッシャーだ。奴の正体が転校生だと分かった以上、僕は放置する気にはなれない。個人的な復讐の念だという事は否定しない。これも運命みたいなものだと思う。

 僕が奴を止めないといけない。新幹線に乗っている間、僕はずっと転校生をどうやってぶちのめそうか考えていた。



 翌日の朝九時、いつものカウンセリングの時間。僕の心を読んだ日富さんは真顔で僕を見詰める。

 これは説教が始まるな。多分だけどブレインウォッシャーについての事だろう。

 まだ日富さんとは知り合って半年ぐらいだけど、このぐらいの事は言われなくても分かる様になっていた。余り嬉しくない適応だ。

 僕は小言を避けるために先を制した。


「分かってますよ」

「何が分かるんですか?」

「復讐はやめろって事でしょう?」

「やっぱり分かっていませんね」


 何が違うんだろう? 僕は不信の目で日富さんを見る。

 日富さんは大きな溜息を吐いて言った。


「確かに復讐は良くないと思います。でも、あなたの個人的な感情をどうこう言っても無意味でしょう。怒るなと言って怒らない人がいますか? 悲しむなと言って悲しまない人がいますか? 喜ぶなとか、楽しむなとか、内から湧き上がる感情に、それを否定しろと言うのはナンセンスです」

「じゃあ何なんですか?」

「私が言いたい事は一つ。勝手な行動は取らないでください。それだけです」

「独断で暴走さえしなければ良いって事ですか?」

「そうです」


 どれだけ憎んでも怒っても良いから暴走だけはするなって、ドライと言うか、割り切っていると言うか……。でも、そんな風に言われたって、「はい」とは頷けない。

 僕は反感を抱いて不満を溜め込む。これならまだ復讐はやめろと素直に言ってもらった方が良かった。


「僕には一人で暴走できる程の度胸なんかありませんよ」


 僕は拗ねた気分でそっぽを向く。心の中ではどす黒い感情がくすぶっている。燃え盛る様な激しさはない代わりに、長く長く残りそうな負の感情。真っ白に燃え尽きて灰にはならず、真っ黒な炭となっていつか再び燃え上がりそうな……。

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