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 突入から長い時間が経ったけど、三人は廃屋から出て来ない。僕は痺れを切らして笹野さんに尋ねた。


「笹野さん、何分ぐらい経ちましたか?」

「二十三分だ。取り敢えず、三十分まで待つ」

「何も起きなかったら?」

「応援を呼ぶ事になっている」

「応援って誰ですか?」

「C機関だ。そうなったら人死にが出る事は覚悟しろ」


 そんな事があるのかと、僕は怖くなった。房来さんや復元さんのフォビアは強力だと思うし、弦木さんのフォビアは知らないけど、同じぐらい強いんだろう。それでも勝てないとなると、いよいよ戦闘のプロが動くんだろうか?

 まだ知り合って日が浅いけど、誰にも死んで欲しくはない。僕がフォビアを自由に使えたら、どんな超能力でも無効化して、皆を助けられる……のか?

 僕は焦りと興奮を静めようと、何度も深呼吸をした。どうか無事であります様に。今の僕にできるのは、そう願う事だけだ。


 直後、辺りが急に冷え込んで、俄かに霧が立ち込めて来た。白い霧がどんどん濃くなって来て、視界を狭める。


「霧隠れだ!」


 笹野さんが警告した。

 崖の下は完全に白い霧の中に埋もれている。障害物が多くて、視界の悪い雑木林の中では、数m先も見通せない。サングラスに細かい水滴が付着して、更に視界を悪くする。

 公安の人が拳銃を取り出して、銃口を視線の方向に向けて構えながら、周囲を見回している。

 僕は狼狽えて、笹野さんに尋ねる。


「ど、どうするんですか?」

「どうもこうもない。とにかく一度下がって合流するぞ。孤立すると危険だ」


 笹野さんは携帯電話で、他の人達と連絡を取り合った。


「船酔、車まで退避だ。復元にも伝えてくれ」


 僕と笹野さんに加えて、公安の人も一緒に移動を始める。笹野さんと公安の人がサングラスを外したから、僕も水滴の付いたサングラスを取って、ジャケットのポケットに入れた。これで少しは周りが見える様になった。

 先頭は笹野さんで、殿は公安の人だけど……方角は分かってるんだよな? 霧が濃いから、僕はどこを歩いているか全く分からない。ただ笹野さんを信じて付いて行くだけだ。


 しばらく歩くと、少し明るい場所に出た。相変わらず辺りは濃い霧に包まれているけれど、木の幹も見なくなったし、雑木林を抜けたんだろう。

 そう思っていたら、犬の遠吠えみたいな声が聞こえ始める。

 笹野さんが二度目の警告をする。


「ブラックハウンドの猟犬だ。背後を取られない様に気を付けろ」


 あちこちでガサガサと草を掻き分ける音がする。僕達を追っているみたいだ。何かが僕達のすぐ側まで迫っている。どこから襲って来るのか、僕は頻りに周囲を見回して警戒する。

 その時、公安の人が霧の中に銃を向けて発砲した。いきなり「パン!」と大きな音が響いたから、僕はビクッとして身を竦める。

 笹野さんが公安の人に告げる。


「やめろ。ブラックハウンドの猟犬は実体を持たない。一時的には追い払えるかも知れないが、倒せはしない。逆に仲間を呼び寄せるだけだ」


 それを聞いて僕はますます恐怖した。廃屋に突入した三人も、廃屋の外で待機していた三人も、誰一人無事かどうかも分からないのに、分断されたまま追い詰められて全滅するんじゃないかと。

 僕がおどおどしている間に、公安の人が「ギャッ」と叫び声を上げる。慌てて振り向くと、公安の人は肩口から血を流していた。それでも重傷ではないみたいで、銃口を霧の中に向けて威嚇している。

 笹野さんが公安の人に問う。


「何があった!?」

「後ろから噛まれた。大した傷じゃない」


 そう言う割には出血が多い。赤い血が迷彩服を濡らして赤黒い染みになる。

 笹野さんは焦った様子で言う。


「本当か? それにしては出血が……違う、ブラッドパサーだ!」


 ブラッドパサーのフォビアは傷口を拡げて失血死させる能力だったはず。小さな傷でも命取りになる。早く手当てしないと出血多量で倒れてしまう!


「急いで離れるぞ! 三人が近くにいる!」


 笹野さんの言葉に従って、僕達は早足で小道を進んだ。

 どこまでもどこまでも白い霧が立ち込めていて、晴れる気配は一向に無い。どれだけ進んでいるのかも分からない。本当に霧の中から脱出できるのか……。

 そんな不安が脳裏を掠めた時、僕のすぐ後ろでドサッという物音がした。僕は反射的に足を止めて振り返る。

 ……公安の人が前のめりに倒れている。血を流し過ぎたんだろう。黒い染みが迷彩服の背中側の半分まで拡がっている。

 動きを止めた僕に、笹野さんが強い口調で言う。


「足を止めるな! 死にたいのか!」

「いや、でも……」

「運が良ければ助かる! 置いて行くぞ!」


 そんな薄情な。

 僕は公安の人から目を離せない。血がどんどん流れて拡がって、血溜まりを作る。

 足が震える。血の気が引く。ああ、あの時と同じだ……。僕は何もできないまま、また人が死ぬのを見ているだけ……。

 目の前が真っ暗になって絶望しかけた瞬間、一瞬にして霧が晴れて温かい太陽と青空が戻った。

 笹野さんが驚いた声を上げる。


「何が起こった? もしかして……向日、君なのか!?」


 僕にもよく分からない。最初は急に眩しくなったとしか思わなかった。霧は完全に消え去っているし、獣の気配もしない。

 笹野さんは倒れた公安の人を素早く肩に担いで言う。


「とにかくチャンスだ! 今の内に車まで戻ろう」


 僕と笹野さんは早足で車を置いた場所まで引き返す。

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