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 ウサギさんと穂乃実ちゃんに挟まれて僕が困惑していると、上澤さんが面白い物を見付けたと言う様な顔でこちらに向かって来た。


「なかなか愉快な事になっているな。羨ましい限りで」

「何がですか?」


 僕が眉を顰めると、上澤さんは声を抑えて笑う。


「フフフ、知らぬが仏という奴だな」


 僕は一層眉を顰める。

 穂乃実ちゃんとウサギさんの相性が悪いんだろうか? それを「愉快だ」と言ってしまう上澤さんの感性も分からない。


「もう泳がないんですか?」

「……ちょっと鍛え直して、リベンジのつもりだったんだがな。勝てなかったよ」


 僕の問いに上澤さんは、ちらりと海の方を見て答えた。視線の先には芽出さん。

 あぁ、また芽出さんと競泳して負けたのか……。

 上澤さんは穂乃実ちゃんを抱えて、僕の左隣に座った。穂乃実ちゃんもウサギさんも睨み合いを止めて、一旦は大人しくなる。まだ張り詰めた空気は継続しているみたいだけれど……。

 僕は敢えて上澤さんに話を振って、この空気を変えようと試みた。


「そう言えば、上澤さん」

「何かな?」

「あれから東京はどうなりましたか? ニュースでも新聞でも全然その辺の事は分からなくて……」


 あれから東京は平穏を取り戻したのか、天国と地獄の大騒動については何の報道も無かった。「大規模な通信障害があった」というだけで済まされてしまった。本当にそれで多くの人を納得させられたんだろうか?

 上澤さんは淡々と答える。


「天国と地獄の三日間が、週末で幸運だった。お蔭で混乱は最低限で収まった」

「無かった事になったんですか?」

「天国とか地獄とか、そんな話をしても誰も信じないからな。その代わりに分かり易いストーリーを用意した」

「それが通信障害?」

「国防党の者が外国勢力と結託して、東京を大混乱に陥れたと。だが、それだけでは弱い。そこで『E.A.D.I.D.』に絡めて、論文を一本書こうと思っている。人々は通信障害で情報を遮断された不安感から、その場の権威を中心に据えた強力な秩序を求める心理に駆られて、一時的に法律をも超えた御恩と奉公の様な人間関係を構築した。情報の遮断という緊急事態は同時に、社会的な相互監視の緩みを招き、人々の犯罪に対する心理的な抵抗をも緩めた」

「捏造論文なんか書いて大丈夫なんですか?」

「捏造とは失礼な。嘘を書く訳ではないよ。エンピリアンの事を伏せただけで。人は醜い本性を、他者との関係で抑圧しているに過ぎない。だから閉鎖的な環境は時に信じられない様な残虐な事件の原因となる」


 僕はウサギさんの反応が気になって、ちらりと様子を窺った。

 ウサギさんは俯いて目を閉じている。全ての情報を遮断しているかの様だ。

 僕は上澤さんに向き直って、問いかけを続けた。


「――結局、国防党はどうなったんですか?」

「党首・半礼政狼を始め、要職の半分が内乱罪の嫌疑で家宅捜索を受けている。半礼政狼は既に大臣の任を解かれた。本人は最後まで抵抗したらしいが」

「P3は?」

「今度こそ完全に終わる。P3のせいで外国勢力の介入を許したんだからな。関係した官僚は地方に飛ばされて、出世コースからも外れる」


 アキラと多倶知の不幸の連鎖を生み出した元凶も、これで完全に終わった。ようやく胸を張ってアキラの墓前で報告できる。失われた命は返って来ないけれど、また前を向いて行ける。

 超命寺……これで良かったんだな? 僕は僕の良心に従って、遺言の通りに外国勢力から日本を守り抜いた。まさか文句は言わないだろう。

 上澤さんは半笑いで語りを続ける。


「公安は人員整理のやり直しだ。聞いた話では、一条府道は課長に出世するらしい。真桑くんも係長だとさ」

「じゃあ、もう一緒に出かける事は無さそうですね」

「そうかもな。寂しいかい?」

「そんなに長い付き合いじゃなかったですけど、それなりには……。また新しい人が来るんでしょう」


 話をしている内に十分が経った。僕は腰を上げて、子供達に呼びかける。


「さて、そろそろ10分だけど」


 子供達は銘々に腰を上げて、パラソルの下から出た。まだまだ元気が余っていて、遊び足りないみたいだ。

 僕も穂乃実ちゃんに手を引かれて、海に向かって歩き出す。ウサギさんも立ち上がって僕の横に付いて来た。

 ああ、今日だけは日頃の憂いを忘れよう。これからは良い事が増えるさ。そう信じて歩いて行こう。





 夕方になる前に、僕達はH市のウエフジ研究所に帰る。子供達は遊び疲れたのか、冷房の効いたワゴン車の中で、ぐっすり眠っている。ウサギさんもだ。

 車を運転している浅戸さんが、僕に尋ねて来た。


「向日くんは寝ないのかい?」

「そんなに疲れてませんから。余り泳いでませんし」

「逞しくなったなぁ」


 最初の頃は少しフォビアを使っただけで、すぐ疲れて眠ってしまっていた。それに比べると成長したなと自分でも思う。


「バイクの方はどうだい?」

「まあまあ順調です。実技はクリアしました」


 そうそう、車の免許を取るために自動車学校に通い始めたんだ。まずは普通自動二輪免許から。もう後は筆記試験に受かるだけという状態だ。


「それは良かった。しかし大変だな。高卒試験に、バイクの免許に、車の免許も取る気なんだろ?」

「今の内に取れる物は取っとかないと。また忙しくなったら困りますから」

「若いって良いなぁ」

「浅戸さんも老け込む様な年じゃないでしょうに」

「いやいや、もう完璧にオジサンだよ。ハハハ。十年若返る事ができるなら、若返りたいもんだね」


 浅戸さん、まだ三十代だったと思うんだけど……。

 僕も三十ぐらいになったら、そんな風に考えてしまう様になるのかな?

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