海辺にて

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 七月の中頃、世間が夏休みに入る少し前、ウエフジ研究所の皆で県東部にあるK海岸に出かけた。目的は当然、海水浴だ。

 一緒に行くのは上澤さんと子供達と、浅戸さん、復元さん、増伏さん、高台さん、倉石さん、芽出さん、勿忘草さん、初堂さん、窯中さん、それにウサギさん。皆合わせて……えーーと、18人だ。

 幾草は大学生になってキャンパスライフを満喫している様で、余り研究所に帰って来なくなった。

 アキレウスとジョゼ・スガワラはC機関に行ってしまった。

 小館真名武はまだ閉じこもったままでいる。日富さんのカウンセリングは受けているみたいだから、大丈夫だとは思うんだけど……心配だ。

 でも今日はせっかく皆で外出するんだから、普段の憂い事は忘れた方が良いのかも知れない。



 平日だからなのか、K海岸はいている。繁忙期でも人が多くない穴場的な海水浴場なんだけれど、それにしてもだ。まあ不都合は無いから良いんだけど。

 僕達は水着に着替えて、浜辺に移動した。

 海に駆け出す子供達に対して、上澤さんが注意する。


「遠くに行くんじゃないぞ! 潮に流されない様にな!」


 そういう上澤さんは初堂さんや勿忘草さんと一緒に、パラソルを広げて影に入る。

 高台さんと浅戸さんは子供達の監視も兼ねて、海の少し深い所まで移動した。ここから先には行かない様にというラインを引いているんだ。

 芽出さんは子供達と一緒に海で泳ぐ。

 子供達の中で一人だけ、柊くんだけはサングラスとウィンドブレーカーを身に着けてパラソルの下だ。太陽恐怖症が薄れても、太陽光が苦手なのは変わらない。可哀そうだとは思うけれど、こればかりは僕のフォビアでもどうしようもない。フォビアの影響を消すだけで、恐怖心まで無かった事にできる訳じゃないからなぁ……。後は本人の気分次第だ。

 僕は試しに柊くんを泳ぎに誘ってみた。


「その上着って、濡れても大丈夫なんだろう? 皆と一緒に泳がないか?」

「でも泳げないし……」

「気にする事は無いって。そんな深い場所には行かないし、浮き輪だってある」


 僕は柊くんに帽子を被せて、パラソルの下から連れ出した。

 軽くストレッチをして、それから海の中に入る。海水は少し冷たいけれど、夏の暑さにはちょうど良いぐらいだ。

 腰の辺りまで海水に浸かった柊くんに、僕は尋ねる。


「どうだい? 海の中は」

「……はい」


 返事はしてくれたけれど、どういう意味での「はい」なんだろう? 不快そうにはしていないから、大丈夫だって事かな?

 僕は浮き輪のボートの周りで遊んでいる荒風さんや開道くん達の所に、柊くんを連れて行った。この辺りは子供達の胸から首の下ぐらいまで深さがある。

 ボートに掴まっている小暮ちゃんが、柊くんに声をかける。


「ヒイラギくんも来たんだ」

「退屈だったから」


 小暮ちゃんは運動が苦手だから、泳いだり潜ったりはしない。それでも他の皆と一緒に海に入ったって体験が大事なんだ。柊くんだけ仲間外れは寂しいだろう。

 僕もその場で何もせずに、子供達を見守りながら、ただ波に揺られて立っていた。晴天の下、爽やかな風が吹く。


「どうだい、柊くん」

「はい」


 僕の問いかけに、柊くんは力強く答えた。悪い気分じゃないみたいだ。良かった。



 それから他の子供達とも遊んだりして、20分後に一旦砂浜まで引き上げる。水遊びに夢中になっていると、いつの間にか熱中症になったりするからだ。20分から30分間隔で10分程度の休憩を挟むのが、ちょうど良いと言われている。余り日に焼け過ぎるのは体に良くない。

 僕は子供達と一緒に、砂浜に並べられたパラソルの日陰で休憩する。最後に海に入ったのは三年前だったかな……。

 子供達が休んでいる間、それまで見張りをしていた高台さんや浅戸さん、それに上澤さんが泳ぎに出る。


 僕が砂浜に両手をついて座って、ぼんやり海を眺めていると、右隣にウサギさんが座り込んだ。ウサギさんはチューブトップにショートパンツという格好……でも余り女の子には見えない。やっぱり胸が真っ平なのが良くないのかなと、僕は失礼極まりない事を考えていた。それともボディラインの問題だろうか? 本人は気にしているだろうから、絶対に口にはしないけれど。


「向日、胸を見ただろう」

「いいえ」

「嘘を吐くな。視線で分かる」


 ちらっと横を見た時に少し視界に入っただけで、見詰めていたつもりは全然無いんだけどな……。


「あれか、やっぱり豊満な方が良いのか?」

「そういう話はやめよう」

「お前が俺の体を見て、露骨に残念そうな顔をしたりなんかしなければ、俺だってこんな話はしない」


 いやいや、そんな……そんな顔をしていたのか?


「もっと女らしい格好をするべきか? しかし、こんな体じゃな……」

「余計な事を考え過ぎだよ。せっかく海に来たのにさ」


 僕だって今日は難しい事を考えない様にしているんだ。あれこれと思い悩むのは、明日になってからでも良いだろう。

 そう思って言ったんだけれど……、ウサギさんは黙り込んでしまった。ちょっと気まずい空気になる。

 少し間を置いて、改めてウサギさんが口を開いた。


「なぁ、向日……」


 僕はウサギさんに振り向いて、今度はしっかり顔を見たけれど、当のウサギさんは遥か遠い水平線を見詰めていた。


「お前、海外に行きたいんだってな。Fで困ってる人を助けるために」

「そうしたいと思ってる」


 僕も遠い水平線を見詰めて応えた。その更に向こうの景色を思いながら。


「その時は俺も連れてってくれよ。メジャーな言語なら大体話せるから、他の通訳はいらないぞ」

「じゃあ……お世話になろうかな」


 僕は改めてウサギさんの表情を窺う。ウサギさんは相変わらず遠くを見詰めていたけれど、口元には微かな笑みを浮かべていた。

 その横顔を見て僕は……カッコイイとカワイイとキレイの三つを足して割った様な不思議な感覚を抱いた。恋愛感情とは違うと思うんだけど、思わず見惚れてしまったと言うか……。

 完全に気を取られていた僕は、いきなり誰かに後ろから両腕を引っ張られ、体の支えを失って仰向けに倒れ込む。


「へわっ!?」


 間抜けな声を出して仰向けに倒れた僕を、穂乃実ちゃんが笑顔で見下ろしていた。


「……穂乃実ちゃん、悪ふざけは良くないよ」

「ごめんなさい。でもスキだらけだったから」


 こんな悪戯をする子じゃなかったはずなんだけど、これも親密さの表れと喜ぶべきなのかな?

 僕が体を起こすと、ウサギさんと穂乃実ちゃんが見詰め合っている。そう言えば、お互いに面と向かってちゃんと挨拶をした事が無いのか?


「穂乃実ちゃん、この人は半礼寅卯さん。それで……ウサギさん、この子は平家穂乃実ちゃん」


 僕が紹介すると、ウサギさんが先に穂乃実ちゃんに挨拶した。


「初めまして……と言うのも変だな。ヨロシク」

「……よろしくおねがいします」


 ウサギさんの目は穂乃実ちゃんを睨んでいるみたいだ。子供が嫌いだとか?

 穂乃実ちゃんはウサギさんを怖がっているのか、僕の左側に回って座り込み、僕にぴったりと身を寄せる。

 何だか張り詰めた空気になる。

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