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 それから僕と開道くんはペンション内の温泉に入浴しに行った。

 登山シーズンだけれど、他の宿泊客の姿は余り見かけない。何十人も宿泊できるホテルとは違うし、こっち方面の登山ルートは上級者向けで人が少ないらしいし、何より平日という事もあるんだろう。混雑していなくて良かった。


 このペンションの浴場は温泉と言っても露天じゃない。それでも浴場の大きな窓からは秋の夜空がよく見える。

 開道くんは湯船に浸かって、ぼんやりと綺麗な星空を見上げている。


「向日さん、俺……どうしたら良いんでしょう?」


 C機関の二人の話を聞いて、余計に迷ってしまったんだろう。

 たった数年でも僕は人生の先輩。後輩に道を示さないといけない。僕は開道くんの心を落ち着かせようと、ゆっくり答えた。


「答えを急ぐ必要はないって。じっくり時間をかけて考えればいい。焦って決めれば後悔する」

「それは分かってますけど……」


 口で言う程、分かってはいないみたいだ。


「そうだなぁ、取り敢えず……研究所に帰ってから一週間ぐらい、悩んでみるか?」


 僕は具体的な猶予期間を示した。これからの事を考えて悩む事は、何も悪くない。これで精神的な余裕が生まれるだろう。少なくとも一週間は。



 温泉から上がった僕達は、部屋に戻って眠る事にした。明日は明日で忙しくなるだろうから、体だけでも休めておかないと。

 僕達が部屋に入ると、まだC機関の二人は起きていた。開道くんはさっさと自分のベッドに横になって目を閉じる。

 僕はベッドに腰かけて、C機関の二人に尋ねた。


「お二人は明日、どうされますか? 僕達は帰りますけど」


 二人は顔を見合わせる。少しの間を置いて、故障さんが気まずそうな顔で答えた。


「その事ですけど、実はスマホも車の中で……」

「ああ、連絡手段が無いんですね。携帯、貸しましょうか?」


 僕は携帯電話を取り出そうとしたけど、眠さんに止められる。


「そうじゃなくてですね……。番号を憶えてなくて、ケータイ借りても連絡できないんですよー」


 スマホや携帯電話は電話番号を何件でも登録できるから、わざわざ人が記憶する必要は無い。だから、こういう事が起こっちゃうんだなぁ……。


「どうするつもりなんですか?」

「どうしましょう?」


 眠さんは真剣に聞いて来たけど、僕に聞かれても困るよ。


「どうしたいんですか?」

「取り敢えず、C機関と連絡が取れれば……」

「でも番号が分からないんですよね?」

「はい」


 故障さんは俯いてしまう。

 僕としても二人を放っといて帰る訳にはいかないからなぁ……。


「分かりました。明日、浅戸さんと何とかできないか話してみます」

「あ、ありがとうございます!」


 故障さんが丁寧に頭を下げたのを見て、眠さんもぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございます。良かったね、故障ちゃん」

「あー、これで安心して眠れる……」

「私のフォビアがあるんだから、眠れない心配だけはしなくて良いのにー」

「そういう事じゃなくってさぁ……」


 二人は笑い合った後に僕を見た。


「本当に何てお礼を言ったら良いか……」

「お礼にして欲しい事とか無いですかー? 今なら何でもしてあげますよー」


 そう言われても困ってしまう。


「いや、僕自身が何とかする訳じゃないんで……お礼とかそんな事は全然気にしないでください」

「添い寝はいかがですかー? よく眠れると評判なんですよー」


 僕は断ったのに、眠さんは話を聞いていなかったのか、自信満々に自分を売り込んで来た。すかさず故障さんが突っ込む。


「どこで評判なのよ?」

「えへへ。それはそれはいろ~んな人に……」

「どうせフォビアでしょ?」

「ネタバレはイヤ~ん」


 二人のやり取りに、僕は苦笑いしながら言う。


「添い寝はいいですから……。フォビアだけ使ってもらえますか?」

「その言い方はヒドいですよー! でも、まあ? お望みとあらば?」


 その後、僕がベッドに横になった瞬間に眠気が襲って来て、すぐ夢も見ないぐらいの深い眠りに落ちた。疲れていたのか、それとも眠さんのフォビアが効いたのか……後者って事にしておこう。



 翌朝、午前六時。僕は自然に目が覚める。僕が一番早起きかと思っていたら、先に故障さんが起きていた。

 故障さんは既に着替えていて、部屋に備え付けのお茶を飲みながら、落ち着いた態度で挨拶して来た。


「向日さん、おはようございます」

「おはようございます。お早い……本当に早いですね」

「眠は朝に弱いので、私がしっかりしないと」


 眠さんが朝弱そうなのは何となく想像できる。ずっと眠そうにしてるし。

 僕は携帯電話を手に取ると、浅戸さんにメールを送った。


向日です。おはようございます。

早速で不躾ですが、お願いがあります。

C機関の二人をどうするか、不動さんに聞いていただけないでしょうか?

二人は連絡手段が無くて困っているそうです。


 返信が来たのは、一時間後。


午前九時に改めて電話します。

詳しい話はその時にしましょう。


 浅戸さんはメールでは目下相手でも敬語を使う人なんだなぁ……。普段と違って、ちょっと変な感じだ。

 僕はすぐに「分かりました」と短いメールを返した。


 開道くんが目覚めたのは、七時半。

 眠さんが目覚めたのは、その一時間後の八時半。故障さんが半分寝惚けている眠さんを引っ張って、僕達は四人で朝食をとる。


 朝食が終わって、午前九時……予告通りに浅戸さんから電話。


「向日くん、私は午前十時に退院する。病院からタクシーで駐車場に向かい、そこで車を乗り換えてペンションに向かう。ペンションの名前はブンブンの森だったな?」

「はい、そうです。ブンブンの森です」

「十二時前には、そっちに着くと思う。それでC機関の事だが……」

「はい」

「不動さんは午前中の精密検査で異常が無ければ、退院できるという話だった」

「はい。それでこっちにいる二人は……」

「C機関に任せておけば良いだろう」

「でも……財布も携帯も持ってないらしいんですけど」

「何だと?」


 浅戸さんは少しの間、絶句していた。


「……分かった。不動さんに話しておこう」

「お願いします」

「しかし、君もお節介だな」

「自分にできる事はしたいじゃないですか」

「そうだな」


 通話を終えると、僕はその内容を開道くんとC機関の二人に話す。

 開道くんは不動さんが本当に大丈夫だと分かるまで、完全に安心はできないみたいだった。C機関の二人も先の予定を立てられなくて不安な様子。

 結果、三人は揃って浮かない顔。


 そして正午前、浅戸さんの運転する乗用車がペンションの前に停まる。その後ろには不動さんの運転する乗用車。どうやら全員無事に退院できたみたいだ。

 僕達四人は今度こそ心の底から安堵して、ペンションをチェックアウトした。領収書の扱いで、浅戸さんと不動さんがちょっと言い合いをしたけれど、ここはC機関が宿泊料を支払う形で話が付いたみたいだ。

 ようやく肩の荷が下りた気分で、僕は大きな溜息を吐く。あれこれと余計な気を遣ってしまっただろうか?

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