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 僕と復元さんが久遠ビルディングに着くと、この前とは別の警備員の男性が慌てて駆け寄って来る。血塗れの復元さんを見れば、しょうがない反応だろう。

 復元さんは「大丈夫だから」と平気な顔で言って警備員を下がらせ、そのまま僕を連れてビルの中に入る。そして一緒にエレベーターで三階へ。

 三階の受付の前で、復元さんは僕に言う。


「後は一人で大丈夫だな?」

「は、はい。ありがとうございました」


 僕がお礼を言うと、復元さんはひらひらと手を振って、もう一度エレベーターに乗り込んだ。親切な人だ。復元さんを見送った僕は、受付に向き直って、カウンターの中にいる中年の女性に話しかける。


「おはようございます。今日からここで働く事になった、篤黒勇悟です」

「新入社員さん? アツグロユウゴ……篤黒勇悟くん」

「はい、そうです」

「承りました。すぐに担当の者が来ます。そちらの椅子にかけてお待ちください」


 僕は言われた通り、待合スペースに置かれている長椅子に座って、担当の人の到着を待った。重いバッグを一旦肩から下ろして、深く長い息を吐く。時刻は九時前だ。家からビルまで徒歩で一時間もかからないはずのに、途中でC機関の人に捉まって、かなり時間を食ってしまった。



 待つ事、三十分。エレベーターからスーツ姿の若い女性が現れて、僕の方に歩いて来る。その人は腕に抱えた書類を見ながら僕に言う。


「お待たせしました。篤黒勇悟さんですね?」

「はい」

「まずは寮に案内します。まあ寮って言っても、同じ建物の六階なんですけど。荷物を持って来てください」

「はい」

「では行きましょう。あ、私は都辻つつじあかりです。ここの事務員をしてます。宜しく」


 都辻さんは照れ笑いして、小さく頭を下げる。僕も合わせて頭を下げた。


「こちらこそ、宜しくお願いします」


 僕は都辻さんに連れられて、エレベーターでビルの六階に移動する。



 都辻さんは六階の端の部屋をマスターキーで開けて、僕を中に通した。


「ここがあなたの部屋になります。1LDKのシンク・ベッド・シャワー・トイレ・収納付。家具はテレビ・時計・テーブル・クローゼット・冷蔵庫がそれぞれ一つずつ。防音も完璧です。いかがでしょう?」

「いかがって言われても……」


 今まで一人部屋だったのに比べると広いと思うけど、マンションやアパートと比べてどうなのかなんて分からない。分からないから文句の付けようがない。狭くはないとは思うけども。

 都辻さんは明るく笑った。


「フフ、まだ高校生だから分からないかな? 何か問題があったら内線で知らせてくださいね。連絡先の番号は、この表に書いてありますから」


 都辻さんは抱えている書類からラミネートされた一枚の紙を取り出して、僕に手渡した。


「取り敢えず、荷物はこの部屋に置いてもらって……。はい、カードキーも渡しておきます。これ、大事な物ですから、失くさないでくださいね。更新手続が大変なんですから」


 続けてカードキーも渡される。番号は606。

 僕は荷物を室内に置いて、カードキーを財布に入れた。都辻さんはそれを見届けてから、僕に言う。


「ささ、急いで、急いで。お昼までに施設を全部案内しますよ」


 僕は都辻さんに急かされるまま、自分の部屋を出る。ドアはオートロックで、閉まると同時にガチャリと鍵がかかった。


「早く行きますよー」

「はい」


 僕は都辻さんに続いてビルの中を移動する。



 都辻さんはエレベーターに向かう道すがら、説明を始めた。


「このビルは全部で八階建てです。五階以上は全て寮になっています。ここにお住まいの方は、フォビアの中でも比較的安全な方です。危険なフォビアの方は、また別に住まいを用意されています」

「はぁ、そうなんですか」


 それ以上の感想が無い。きっとこの前会った沙島さんも、どこかの階に住んでいるんだろう。復元さんや他のフォビアの人も。

 エレベーターの前に着いた都辻さんは、上昇のボタンを押す。

 十数秒後にエレベーターが到着して、僕と都辻さんは一緒に乗り込んだ。


「上へ参りまーす」


 そのままエレベーターは屋上へ。


「屋上でーす」


 僕と都辻さんは塔屋から広い屋上に出る。屋上には転落防止のために金網が張り巡らされていた。風が少し強いけど、好い天気だ。

 そこで僕は一人の男性を発見する。金網の前で疲れた顔をして、遠くを眺めている中年男性だ。

 都辻さんは少し眉を顰めて、男性に近付いて話しかける。


耳鳴みみなりさん、どうしたんですか?」

「……外だと、耳鳴りが少し収まる気がしてな」

「お薬、お渡ししましょうか?」

「そこまでじゃない」

「それでは、お大事に」


 耳鳴さんから離れて戻って来る都辻さんに、僕は尋ねた。


「誰なんです?」

「ここのフォビアの一人です。耳鳴みみなり覚郎さとろうさん。聴覚障害の能力を持っています」

「耳鳴りだから耳鳴さん?」


 僕は奇妙に思って聞いてみた。沙島さんも甘味でサトウだし、名前と能力は関係するんだろうか?


「そうですよ。本名じゃなくてコードネームですから、分かり易くしてるんです」

「僕もコードネームを付けられるんでしょうか?」

「嫌なら付けなくても良いらしいですよ」


 僕の能力なら、どんな名前を付けられるんだろう? 想像も付かない。でも、できるならカッコイイ名前が良いな。

 僕がそんな事を考えている内に、都辻さんは塔屋に戻っていて、僕を呼ぶ。


「次、行きますよー。早く早く」

「はい!」


 僕と都辻さんは塔屋の中のエレベーターに乗り込んで、下階に移動する。


「下へ参りまーす」


 それ毎回言わないといけないのかな? まあ本人が楽しそうだから良いけど。

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