3
増伏さんは怪訝な目付きで、ジッと僕の顔を見詰めている。心配をかけてしまっただろうか? 正直、途中で増伏さんに正気に戻してもらえて助かった。あのままだと錯乱して気絶してもおかしくなかった……。
「僕は大丈夫です」
「ああ、心配したよ。結構どっぷりトランスしてたみたいだったから」
「……済みません」
「いや、
「そんな事は!」
――「ない」と言いたかった。早くフォビアを使いこなしたいという思いは変わらない。僕は訓練を中断されたくなかった。
増伏さんは優しい口調で、逸る僕を諭す。
「焦らなくて良い。初めては誰でもフォビアの扱いに手間取るんだ。すぐに使いこなせる人なんかいない」
それは事実だろう。でも、だから何だって言うんだ? 無意味な慰めだ。ここで訓練を中断したって、どうせまた後で訓練を再開しないといけない。時間を置くだけで何かが良くなるとは思わない。寧ろ、覚悟が劣化する。心の扉を開け閉めするのに必要なエネルギーは有限なんだ。いつでも気軽にできる事じゃないから、覚悟が決まっている今の内に訓練したい。
「お願いします。訓練させてください」
僕は真剣に増伏さんに頼み込んだ。だけど、増伏さんは頷いてくれない。
「はっきり言おう。君の能力は強過ぎるんだ。他の子達の訓練の妨げになる」
「……いや、でも、検査したんですけど、僕の超能力者としての力は、そんなに強くないって……」
そう言われたはずだ。それなのに僕の超能力が他の子達の訓練を妨害する? 他の子達はまだ幼いからフォビアの力が弱いんだろうか? 上澤さんがそんな感じの事を言っていた気がする。
「検査は検査だ。実際とは違う事もあるだろう。とにかく今日のところは見学するだけにしてくれ」
「見学?」
「フォビアの訓練で何をするのか、よく見ていてくれ」
人の邪魔になると言われてしまっては、どうする事もできない。僕は増伏さんの言葉に従った。
実験室の隅で大人しく他の子達の様子を黙って見ていると、何だか体育の時間に怪我をして見学した時を思い出す。……率直に言って、つまらない。
ああ、いけない。ノスタルジーに浸っていると、彼の事を思い出してしまう。仲の良い友達だったのに……。
僕が落ち込んでいると、増伏さんが再び僕に向かって歩いて来る。まだ何か用なんだろうか?
「向日くん、言い難いんだが……やっぱり今日は帰ってくれないか?」
「えっ?」
「またフォビアの発動が妨害された。やっぱり君のフォビアは強過ぎるみたいだ」
「僕のせいなんですか……?」
「他にいない」
こんな事ってあるのか? ちょっと落ち込んだ気分になるだけで、フォビアを妨害してしまった? 信じられない。僕を厄介払いしたいだけじゃないのか? それとも子供達が僕を嫌っているとか?
僕の中で不信感が大きくなる。実感が全然ないから、自分の能力がそこまで強いとは思えなかったし、人の邪魔をしたとも思いたくなかった。
……でも、ここで抗議しても結論は変わらないだろう。
「帰って、それからどうするんですか?」
「今回の事は、副所長や日富さんに報告しておく。今日はゆっくり休んでくれ」
僕は落ち込んだ気持ちで、自分の部屋に戻る。
まだ午前十時、時間だけが余ってしまった。
部屋に着いた僕は、大きな溜息を吐いてリビングに仰向けに寝転んだ。
何もかもが嫌になる……けど、腐ってばかりはいられない。フォビアの訓練のやり方は大体分かった。自分にとって嫌だった事を思い浮かべて、フォビアを発動させるんだ。それはどのフォビアでも同じ。増伏さんは小さな鏡を使ったし、C機関の兎狩もボールペンを使った。
フォビアの発動には条件があって、多くのフォビアの使い手は、その条件に合った物を持ち歩いて、発動を補助しているんだろう。
僕にはそういう物は無いから、過去を思い出す事でフォビアを使うしかない。また記憶の扉を開こう。何度も繰り返せば、恐怖が薄れて、封印も弱くなる。そうしたら自由に能力が使える……のか?
分からない。完全に慣れてしまったら、フォビアを失うんだろうか? 具体的な物や現象によって引き起こされるフォビアは、制御が簡単なんだろう。その人にとって怖い物を実際に見たり、そういう現象を起こせば良いんだから。
でも、僕の無力感が原因のフォビアは、どう制御したら良いのか分からない。記憶の扉を開くべきか閉ざすべきか、僕は中途半端な心で迷い続ける。
目を閉じれば、彼のシルエットが浮かぶ。死んだ者は何も言ってくれない。責める事も慰める事もしてくれない。僕の記憶の中で彼は録画された映像みたいに、繰り返し同じシーンに登場するだけだ。
そうこうしている内に、僕は眠りに落ちてしまった。気が付けば、午後一時……。
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