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 僕と増伏さんが話していると、青いジャージを着た三人の子供が、揃って入室して来た。僕も大人とは言えないけど、三人は僕よりも子供だ。それでも保育園や幼稚園という年齢には見えないから、小学生ぐらいだと思う。

 増伏さんは三人を呼び寄せて、僕に自己紹介を促す。


「皆、こっちに来てくれ。今日は新しいフォビアの人を紹介するぞ。向日くんだ」

「あっ、はい。向日衛です。宜しくお願いします」


 僕がぎこちなく一礼すると、三人もぎこちなく揃わない礼を返す。

 その後に増伏さんは小声で僕に言い添えた。


「向日くん、フォビアも」

「ああ、はい。僕のフォビアは超能力の無効化です」


 三人の反応は今一つで、余り興味が無さそうな感じだった。他人のフォビアには関心が無いのかな?

 増伏さんは今度は三人の子供に自己紹介を促す。


「それじゃあ、今度はひいらぎくんから」


 向かって右の男の子が小さく頷いた。


ひいらぎ徹夜とうやです。フォビアは日光恐怖症です」


 きっちり深く礼をする柊くんに、僕も礼を返す。

 次に真ん中の少し背が高い女の子が自己紹介する。


荒風あらかぜさやかです。フォビアは強風恐怖症」


 荒風ちゃん……いや、「ちゃん」って呼んで良いのかな? 背が高いから他の子よりも年齢が上に見える。顔付きには幼さが残ってるんだけど……分からないな。一応「さん」にしとこう。

 荒風さんは浅い礼。恥ずかしがりなのかも知れない。僕も浅い礼を返す。

 最後に左の背が低い女の子が自己紹介する。


小暮おぐれ流羽るうです。フォビアは……運動です」


 小暮ちゃんは自信なさそうに小さく礼。運動恐怖症ってあるのかな?

 僕が礼を返すと、小暮ちゃんはもう一度、今度は少し深く礼をした。この子は自分のフォビアを良く思っていないのかも知れない。でもここに来ているって事は、フォビアを使いこなしたいと思っているはずだ。


 お互いの自己紹介が終わった後、増伏さんは大きな声で言う。


「さて! フォビアの訓練を始めよう。皆、十分に距離を取って広がってくれ」


 近くに他人がいると危ないのかな? お互いの距離を確かめながら散開する三人に倣って、僕も数m距離を取る。

 増伏さんは続ける。


「まず目を閉じて、自分の嫌な事を思い浮かべるんだ」


 そう言われて、僕は戸惑った。

 誰が好き好んで嫌な事を思い浮かべるんだ? でも、フォビアを思い通りに扱おうと思ったら、そうするのが一番なのか……。いつでも嫌な事を思い出せれば、自由に能力が使える様になる。理屈は分かるけど、素直には受け入れられない。

 他の三人はどうしているんだろうと思って、僕は横目で様子を窺う。

 一番変化が目に付いたのは、荒風さんだ。彼女の周囲にだけ、風が起こっている。こちらまでは届かないけど、髪や服が風に靡いている。

 他の二人は……見た目に変化はないけど、嫌そうな顔をしている。本気で嫌な事を想像しているんだろうか?

 初めての訓練に僕は驚くばかりだった。僕は当時の事を、気軽に思い出す気にはなれない。これは想像以上に辛い訓練になりそうだ。

 棒立ちしている僕に、増伏さんが話しかけて来る。


「向日くん、どうした?」

「いや、その、いきなり嫌な事を思い浮かべろって言われても……」

「そう難しい事じゃないだろう」


 増伏さんは笑顔だけど、だから余計に怖い。


「いや、難しいですよ……」

「それでも少しずつ慣れるしかない。君にどんな過去があったのかは知らないけど、そこを乗り越えないと先には進めない」


 分かっている。分かっているけど、そう簡単な話じゃない。

 僕の中で不安が大きくなる。分かってもらえない不安、このまま何もできないんじゃないかという不安……。


「増伏先生!」


 急に荒風さんが高い声を上げた。すぐに増伏さんが反応する。


「荒風、どうした?」

「フォビアの風が……」


 さっきまで荒風さんの周囲で渦巻いていた風が止まっている。もしかして僕のフォビアが発動したのか?

 増伏さんが僕の方を見たので、僕はドキッとした。無意識にとは言え、他の人のフォビアを妨害してしまった。……気まずい。


「向日くん、隅に行こう。皆はそのまま訓練を続けてくれ!」


 僕は増伏さんに連れられて、実験室の隅に移動した。


「今のは君がやったのか?」

「そうかも知れません。本当に僕のせいなのか……分かりませんけど」

「分からないか……。ちょっと待ってくれ」


 増伏さんはポケットから折り畳み式のコンパクトミラーを取り出す。そして鏡をちらりと見ると、増伏さん自身の分身を一つ生み出した。


「これを消してみてくれ」


 増伏さんは鏡合わせの分身と、お互いに指を差し合いながら言う。


「そ、そんな急に言われても……」


 僕の嫌な思い出は、本気で嫌な思い出なんだ。できれば思い出したくはない。普段は固く閉じている記憶の扉を開くには、かなりの決断力と精神的なエネルギーと心の準備が必要なんだ。そこのところを理解して欲しい。

 ……僕だって分かってはいるんだ。時間をかけても良いから、やらなければいけない事くらいは。


 僕は目を閉じて深呼吸をした。そしてあの瞬間を思い出す。


 ――学校の屋上に彼がいる。後ろを向いて、転落防止の柵に寄りかかっている。僕はそれを地上から見ている。

 彼はゆっくりとこちらを向く。その目は潤んでいる様に見える。彼も死にたくはなかったんだ。でも、苦しみから逃れるために、その方法を選んだ。


(アキラ!)


 僕は大きな声で呼びかけるけど、彼には聞こえていないみたいで、柵を乗り越え始めた。

 動悸が早くなる。何とかしないと。

 でも、何ができる?


(アキラ!!)


 二度目の呼びかけにも反応はない。

 冷や汗が流れる。涙が溢れそうになる。


「――もう良い!」


 増伏さんに肩を掴まれて、僕は我に返った。増伏さんの分身は消えている。


「やっと気が付いたな。呼びかけてもなかなか返事をしないから心配したよ」


 僕は深い溜息を吐いた。回想は途中だったけれど、フォビアはちゃんと発動したみたいだ。

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