第一の使徒

1

 それはクリスマスを再来週に控えた時の事だった。日本列島はすっかり冬の寒さに覆われたけれど、まだ北海道と東北以外の都市では初積雪も観測されていない……。そんな天候の頃に、僕は上澤さんに所長室に呼び出された。場所はいつもの副所長室じゃなくて、所長室だ。

 かなり重要な話があるんだろうと、僕は緊張して所長室に入る。やはりと言うか、当然と言うか、所長室には所長がいた。上澤さんもいたけれど、所長の横に控えて静かにしている。


「おはよう、向日くん」

「お、おはようございます」

「新生十二使徒の事で、重要な話がある」

「はい」


 遂に来たかと僕は身構えた。


「クリスマスに合わせて、新生第一使徒シモン・ピエールが日本を訪れる。彼の本名はピーター・ネイピア。オーストラリア出身で、フランスのエッフという土地の地方教会から派遣されたと偽っている。だが当のエッフの教会は、そんな人物は知らないと回答した。これは七つの教会の一つ、エペソに合わせた物だろう。聖書にあるエペソとは現在のトルコのエフェスの事だが、フランスのエッフもエフェスと綴りが似ている」


 黙示録に合わせるために、黙示録の使徒と新生十二使徒がおかしな偽装をしているって事は分かった。そこまでしなくてもと思うんだけど、こういう小細工が信者を繋ぎ止めるのに大事なんだろう。


「そのシモン・ピエールって人は、どんな人なんですか?」

「人格について知りたいのかな?」

「そうじゃなくて……いや、それも知りたいですけど、僕が聞こうとしたのは黙示録の使徒としての評価というか」

「第一の使徒にして第一の封印を解き、第一のラッパを鳴らす者。『全ての先触れ』という触れ込みだ」


 第一の封印は白い馬だったかな? 第一のラッパは火が降り注いで、地上の三分の一が焼ける。そして第一の災害は悪性の腫物……。

 やれやれ、変な知識ばっかり身に付いてしまった。取り敢えず警戒するのは、火事と悪性の腫物かな?


「フォビアは判明しているんでしょうか?」

「持っているとしたら、森林火災のフォビアだ」

「森林火災?」

「オーストラリアでは森林火災が発生する。それにトラウマを持っているらしい」

「日本で森林火災って言うと、どこが危険ですか?」

「ピエールが訪れるのはN県だ。火災を警戒するなら、日本アルプス周辺の森林地帯になる。森林火災よりは山火事の方が分かり易いかな」


 日本アルプスって言うと、日本の真ん中を通るけれど、高い山があるから複数の県を巻き込んで全体が焼ける様な大規模な火事にはなりそうにない。所長の言う通り、周辺の低い山が燃えるんだろう。


「第一の災害、悪性の腫物ってのは、気にしなくて良いんでしょうか?」

「勿論、警戒しなくてはならない。当人がフォビアを使うとは限らないからな」

「それで……僕はどうすれば良いんですか?」


 体は一つだから、二人以上を同時に見張るなんて無理だ。使徒が囮で実行者が別にいるなら、正直に言ってお手上げに近い。


「ピエールの対処は勿忘草に任せる。彼女のフォビアでミサを失敗させる。向日くんは公安と共に、ミサの会場周辺を見張ってくれ」

「公安ですか……」


 公安には不信感しかない。既に二回も裏切られて、信頼なんてある訳がない。

 不信の感情が僕の顔に表れていたのか、所長は苦笑いして言った。


「大丈夫だよ。公安も内部で素行調査をして大掃除を決行した。これ以上の不祥事は起こらないだろう」

「……だと良いんですけど」


 どっちしても公安の人の協力なしに、会場周辺の警戒はできないだろう。C機関の人もF機関の人も、フォビアが使える以外は素人と変わらない。餅は餅屋と言うから諜報や警戒はプロである公安に任せた方が良い。それは分かる。

 最後の問題は……黙示録の使徒が、どれだけ日本国内の宗教勢力と深い繋がりを持っているかだ。僕は所長に尋ねる。


「新生十二使徒は黙示録の使徒が用意した……っていう認識で良いんですよね?」

「そうだ」

「その黙示録の使徒って、日本にも支部があるんですか?」

「無い。日本のカトリックも主なプロテスタントの団体も、黙示録の使徒――アポカリプス・アポストルスとは距離を置いている」

「じゃあ、どこが……」

「やはり新興宗教だ。アポカリプス・アポストルスの危険性は伝統的なグループには既に知れ渡っている。故に野心的な新興宗教に取り入らないと、外国で動けない」

「何ていう組織ですか?」

「『勝利の使徒』だ。『新たな救世主を待つ使徒』を自称する事もある。『新徒会』や『NCW』という名前も使う」

「どうしてそんなに名前があるんですか?」

「世間の悪評と公安の目から逃れるためだ。良くない目で見られているという自覚があるのだろう」

「それがN県でミサを開くんですね? 行政の方で止められないんですか?」


 県や市の方から施設を利用するのを止めさせたりはできないかと、僕は考えた。

 所長はゆっくりと首を横に振る。


「日本には信教の自由がある。どんなにデタラメで危険な思想を唱えていても、実行に向けて動かない限りは黙って見ているしかない。そして、アポカリプス・アポストルスと勝利の使徒は、現実に深い繋がりを持たない組織同士だ」

「アポカリプス・アポストルスの方は止められないんですか?」

「シモン・ピエールはアポカリプス・アポストルスの名を伏せ、ユニバーサル・アポストルスという組織の一員だと名乗っている。ユニバーサル・アポストルスは問題のある団体とは見なされていないが、ピエール個人はアメリカを始めとした多くの国で入国拒否扱いのブラックリストに指定されている。しかし、どうやら日本政府は動くつもりはないらしい」

「どうしてですか?」

「宗教界からの反発を懸念している様だ」

「でも、カトリックやプロテスタントの主要な団体とは距離があるんでしょう?」

「そうじゃない連中が文句を付けるんだろう。いわゆる『宗教右派』だ。宗教の動員力を利用して政治に深く関与する連中」


 政治の事は僕達じゃどうにもならない。僕にはまだ選挙権もない。でも、これを何かの取引に使えないだろうか?

 僕は所長に尋ねた。


「政府の方も全く問題が無いとは思ってないんでしょう?」

「そうだな。問題だとは思っていても、政治介入に積極的な連中のクレームの方を恐れている。そちらの方が選挙結果に直結するからだ」

「では、僕達が危機を食い止める代わりに、政府に何かを要求する事はできないでしょうか?」

「……P3の事を言っているのかな?」


 所長は僕の内心を言い当てた。上澤さんや日富さんから聞いていたんだろう。少し驚いたけれど、否定はしない。寧ろ、力強く肯定する。


「はい」

「逞しいね。とても十七の少年とは思えない。そうならざるを得なくしてしまったのは私達の方か……。良いだろう。どこまで応じてくれるかは分からないが、この前の交通事故の件もある。やれるだけは、やってみよう」

「お願いします」

「過度な期待はしないでくれ」


 僕も一度に物事が進むなんて期待はしていない。少しずつ、確実に積み重ねて行くんだ。アポカリプス・アポストルスにも踏み台になってもらう。

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