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 飯田橋でタクシーを降りた僕は、真桑さんとウサギさんと三人一緒に、飯田橋駅に乗り込む。飯田橋駅にも警察の人達が駐屯している。天国が解放されない限り、中央線の運行再開も難しいだろう。

 僕達は飯田橋駅の地下を通って、天国との境界に立つ。


「それじゃ、行って来ます」


 僕は真桑さんとウサギさんに一言告げて、白い光の壁の向こう――結界の中の天国へと踏み込んだ。


「気を付けて」

「必ず帰って来い」


 二人の声を背に受けて、僕は進む。



 白い壁の向こうに渡ると、人の気配が全くしなくなった。駅の中も全くの無人だ。

 僕は東口から外に出てみる。ここにも人の姿は全く無い。皆、天国から地獄に追放されてしまったんだろうか?

 僕は皇居方面に歩きながら、人影を探した。

 ……いない。誰もいない。建物の中にいるのか? 人は全く見かけない代わりに、やたらと小動物を見かける。特に小鳥と猫……。

 不思議な事に、小鳥は猫を恐れないし、猫もまた小鳥を襲おうとはしない。猫は無気力にゴロゴロ寝転んでいるか、ふらりふらりと散歩しているだけ。

 平和な風景だけれど、平和過ぎて不気味だ。天国では動物までもが本能を忘れてしまうんだろうか? ジョゼ・スガワラはどうなったんだろう?


 皇居までの道程みちのりで、僕は誰とも会わなかった。逆に猫は見かけない時が無かったぐらい多くいた。必ず視界のどこかには猫がいた。

 皇居のお堀の周辺では、水鳥も見かける。動物ばかりだ。人間は一人も残っていないんじゃないかと思わされる。

 僕は田安門から日本武道館の前を通って、真っすぐ北桔橋門へ進んだ。

 ……皇居を守る番人もいない。何かがおかしい。

 西桔橋門の前で、僕はようやく天国で最初の人間と出会う。


「ジョゼさん……」

「ムコウ、ジゴクから戻って来たか」

「はい」


 敵対するのだろうかと、僕は身構えた。今日、天国に戻って来て初めて会えた人間だから、ちょっと安心した気持ちはあるけれど、敵になるなら戦わないといけない。

 でもジョゼ・スガワラは自分から手を出して来る様子が無い。それは天国の約束があるからなのか……。


「地獄は解放しました。残るは天国だけです」


 僕はジョゼ・スガワラに宣言したけれど、当のジョゼは何も答えなかった。ただ無言で僕を見下ろしている。その感情は読めない。

 僕は話を続ける。


「あなたも本当は分かっているはずです。天国も地獄も人の救いにはならないって」

「そうかもな」

「天国にいた人達はどこへ行ってしまったんですか? ここまでは誰も見かけませんでしたよ。全員追放されてしまったんですか?」

「追放……? そこら中にいるじゃないか」


 ジョゼ・スガワラの言葉に、僕は改めて周囲を見回した。

 ……でも、人間は僕とジョゼ・スガワラだけだ。他には誰もいない。まさか幽霊になったとか?


「誰もいないですよ」

「それ、そこだ。あそこにも」


 ジョセ・スガワラは門の隅でたむろしている猫達に目をやった。

 僕はようやく察して、それでも理解が追い付かなくて、首を横に振る。


「そんな……」

「人であるコトを捨て、自分のなりたいモノになったんだ」


 人間として生きる事に疲れきってしまった人は、最終的には人である事さえもやめてしまうと言うのか?


が救いだと言うんですか?」

「オレにはわからない。ただ天国の番人として、ここにいるだけだ」

「僕は天国を終わらせます。絶対に」


 僕は敢えて敵対的な態度を取った。

 でもジョゼ・スガワラは相変わらずの無表情で立ち尽くしている。


「……好きにするといい。だが、天国をこわしてどうなる? 人として生きるコトをやめたヤツが、元に戻るとでも? 生きる気力を取り戻して?」

「疲れた人のための天国があっても良いでしょう。でも東京に創らないでください。どっかの無人島で勝手にやる分には、誰も止めたりしませんよ。きっと」

「一理ある」

「僕を止めないんですか?」

「どうやらオレも天国にふさわしい人間じゃないらしい。マーイ……」


 ジョゼ・スガワラは天国の番人になっても、現世のしがらみを忘れる事ができなかったんだろう。天国に適応できなかったんだ。

 深い溜息を吐いたジョゼ・スガワラは、いつの間にか足元に擦り寄って来ていた猫を抱き上げた。本当に僕を素通しするつもりらしい。


「良いんですね?」

「行け」


 二度は言わせるなとでも言うかの様に、ジョゼ・スガワラは僕から目を逸らして、言い放った。

 僕はジョゼ・スガワラを不憫に思いながら橋を通過して、真っすぐ宮殿を目指す。

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