天国への挑戦

1

 Tクロス・コンフォートタワーを出ると、公安の人達が僕達を出迎えた。

 まず真桑さんが前に進み出て、事情を説明する。


「小館真名武は確保した。新宿区と文京区は地獄から解放されるだろう。後は天国をどうにかするだけだ」


 公安の人達は仲間内で控えめにハイタッチして、一つの作戦が無事に終わった事を静かに祝い合う。

 そのまま僕達は公安の人達に警護されて、徒歩で新宿駅の地下に戻った。



 新宿駅の地下で、小館真名武は一人だけ別の場所に連行された。

 僕は真桑さんに聞く。


「小館真名武に何をするんですか?」

「何もしやしない。ヘッドギアを被せるだけだ」

「余り意味は無いと思いますけど」

「気休めさ。取り敢えず大人しく従っている姿を見せていれば、皆も反抗する意思は無いと判断するだろう」


 実際に効果があるか無いかより、他の人達が小館真名武の行動をどう受け取るかという事なんだろうか? 理屈は分かるんだけど、欺瞞じゃないかとも思う。

 ……小難しい事を考えるのはやめにしよう。それよりも次の事だ。


 僕は真桑さんと別れて、仮眠室に移動した。ウサギさんも僕の後に付いて来る。

 仮眠室に入ろうとした寸前で、ウサギさんは僕を呼び止めた。


「ムコウ」

「何ですか?」

「……何もできなくて悪かった」


 一体何の事を言われているのか、すぐには分からなかった。エンピリアンになった事を後悔している訳じゃないみたいだし、天国と地獄を創った事を謝っている訳でもないみたいだし……。

 察しの悪い僕に、ウサギさんは小さく息を吐いて言う。


「小館の事だ。俺は小館を説得する事も、超能力で戦う事もできなかった」

「あぁ、それは……まあ、しょうがないよ」


 無理な事は無理なんだ。何事にも限界がある。それは人でも物でも同じ。それでもウサギさんは納得できないみたいで、難しい顔をしている。

 どうにかフォローしようと、僕は慰めの言葉を探す。


「それが僕のフォビアだから」

「どういう意味だ……?」

「そのままの意味。何もできないという悔しさ、絶望感」

「それが……フォビア?」

「ああ。僕のフォビア」


 ウサギさんは俯いて小さく笑った。どういう感情の表れなのか、僕には分からないけれど、少しでも気が紛れたなら良かった。

 僕が仮眠室に入ると、ウサギさんも続いて入る。そして僕がベットに横になると、隣のベッドに座って語りかけて来た。


「明日、天国に行くんだろう?」

「ああ」

「一人で?」

「そうしたいと思ってる。天国は地獄よりも人に与える影響が強いから」


 お腹が空かなかったり、眠くならなかったり。精神だけじゃなくて、肉体にも影響を与える。

 それにルーシーの超能力は他のエンピリアンよりも強いだろう。何しろモーニングスター博士の孫なんだ。まだ姿を見せていない最後のエンピリアン、ルーシーの妹というセメレも気になる。


「俺も連れて行ってくれないか?」

「……天国に入って、どうする?」

「分からない。ただ……君を一人で行かせたくない」

「心配だとか?」

「そうだ」


 素直に肯定されて僕は戸惑ったけれど、心配させない様に力強く答えた。


「大丈夫。天国では誰も人を傷付ける事はできないんだ。天国と地獄があって初めて秩序が成り立つなら、地獄が失われた今、天国の存在価値も半減している。今度こそルーシーを止める」

「……無事に戻って来い」

「大丈夫だって」


 話している内に、僕は段々眠くなって来た。今日はフォビアを使い過ぎたかも知れない。あくびと同時に深い溜息を吐く。疲れた。横になっていると気持ち良い。


「はっ! そうだ!」


 僕はこれだけは聞いておきたいと、体を起こしてウサギさんに問いかけた。


「ウサギさん、セメレの正体って知ってる?」

「いや、知らない。セメレは一度も俺達の前に姿を現さなかった」

「……分かった。ありがとう」


 落胆した僕は再びゆっくりと体を寝かせる。


「何か、悪い。役に立てなくて」

「いや、気にしないで。もしかしたら天国にも地獄にもいないのかも知れない」


 分からない事をいくら考えてもしかたない。明日の事は明日の僕が何とかするさ。

 僕は眠気に負けて、すぐに意識を失った。



 翌朝、僕は空腹を感じて目を覚ます。時刻は午前八時……かなり寝坊した。それだけ疲れていたんだろう。


「起きたか」


 最初に声をかけて来たのはウサギさん。僕が眠る前と同じ様に、僕の隣のベッドに座っていた。


「おはよう。もう朝ご飯は食べた?」

「いや、まだ」


 ウサギさんも疲れていたのかな? 夜になかなか寝付けなかったのかも知れない。国会議員、それも現役の国務大臣の子供で、いつもは快適な暮らしをしているだろうからなぁ……。


「一緒に食べよう」

「ああ」


 僕の誘いかけに、ウサギさんは迷いも躊躇いも見せずに頷いた。ウサギさんもお腹が空いていたんだろう。

 それから僕達は駅のコンビニで朝食を買って、無人のカフェに持ち込んで食べた。ウサギさんに「コンビニ食品って食べた事ありますか?」と聞いたら、「バカにしてるのか」とマジなトーンで怒られた。……余計なお世話だったな。


 正午になって、僕は真桑さんとも話をした。僕は一人で天国に突入する。真桑さんの助けは必要ない。率直にそう伝えた。

 真桑さんは寂しそうな顔をしたけれど、反対したりはしなかった。


 午後一時、僕はタクシーで新宿駅から飯田橋に向かう。天国に入るまでは真桑さんとウサギさんが同行してくれる事になった。

 地獄は――いや、新宿区と文京区は静かになっていた。

 パトカーや誘導標識車といった警察関係の車両を多く見かける。街が元の賑わいを取り戻すには、もう少し時間がかかりそうだ。

 誰も彼も正気に戻って、昨日までの地獄での行いを後悔しているか、それとも証拠隠滅に忙しいか、そんなところだろう。多少の暴力事件は見過ごせても、それ以上の――例えば、強盗や殺人まで起こっていたら不問にする事はできない。

 今は警察が混乱を抑えているんだと、真桑さんが説明してくれた。今朝の時点で、制限付きながらも外部からの人も入り始めているらしい。一週間ぐらいは警察の厳しい警戒が続くだろうと、真桑さんは予想した。

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