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 初堂さんが作って来たサンドイッチは、あっと言う間に無くなってしまった。


「もっと多く作っておけば良かったかしら……」


 初堂さんは小声で零す。

 僕も食べ足りないと感じているけれど、礼を失してはいけない。


「初堂さん、おいしかったです。ごちそうさまでした」

「フフフ、ありがとう」


 嬉しそうに笑う初堂さんは、初めて見た気がする。いつもどこか影のある感じの人だったから。

 ちょっとの間を置いて、今度は沙島さんが僕にお礼を言う。


「向日くん、本当にありがとう」

「僕が……何か?」

「私のフォビア、甘味だから。こういう時の食事、全部甘くなっちゃう。久し振りに素直に味わって食べられたよ」

「いえいえ、そんな」


 そう改まって言われると照れ臭い。そもそも僕のフォビアの効果じゃなくて、普通に沙島さんがフォビアを制御しているだけなんじゃないのかな? どっちのフォビアが働いたかを確かめる方法は無いんだけれども。それとも僕がいるっていう安心感でフォビアを制御し易くなっているとか?


 ランチタイムが終わった後は、皆でちょっと休憩。

 お腹が満たされた上に、春の陽気で眠たくなって来るけど、僕が寝たら誰がフォビアを無効化するんだ。しかし、眠たい……。眠っちゃいけないけど眠い。C機関の眠さんの事を思い出す。

 僕は眠気覚ましに立ち上がって、その辺を少し歩いた。今度はカフェインとメントール入りのガムを用意しておこう。そう思っていたら、勿忘草さんと灰鶴さん以外の女性組もいつの間にか眠っていた。食後に眠たくなるのは皆一緒って訳か……。

 勿忘草さんは車の中で眠っていたから、今は眠くないんだろう。

 じゃあ、灰鶴さんは?

 疑問に思った僕は灰鶴さんに聞いてみた。


「灰鶴さん」

「何?」

「灰鶴さんは眠くないですか?」

「向日くんは?」

「正直、眠いです」

「寝ちゃえば?」

「それはできませんよ。何のために僕がいると思ってるんですか」


 眠っている間はフォビアが発動しないと考えるのは誤りだ。夢の中でもフォビアは発動する。夢も見ないぐらい深く眠っているなら、その心配は無いだろうけど。


「そんなに気張らなくても良いと思うけど」


 灰鶴さんはそう言いながら、僕に銀紙に包まれたガムを一粒差し出した。


「ありがとうございます……?」


 何だろうと思って僕が見詰めていると、灰鶴さんは言う。


「運転中に眠くなるといけないからね」


 ああ、眠気覚ましのガムなんだな。

 銀紙を剥いで口に放り込んで噛み潰すと、口の中がスーッとして目が冴えて来る。僕は即効性に目を見張った。


「効きますね」

「また眠くなったら言いなよ。あげるから。しばらくは必要ないと思うけどね」

「はい」


 灰鶴さん、意外と優しいんだな。普段つんけんしてるけど、第一印象に囚われ過ぎちゃいけないんだろう。



 それから一時間後……そろそろ眠っていた人達も起き始めて、僕達はT公園を後にする事にした。

 芽出さんが口を押さえながら大あくび。僕と目が合って、小さくはにかむ。


「それで、もう帰るの?」


 駐車場で車に乗り込もうってところで、灰鶴さんが皆に聞いた。

 それを受けて、皆して顔を見合わせる。僕としては灰鶴さんがくれたガムのお蔭で眠気も飛んだので、ここは皆の意見を尊重したい。


「どっか行きたい所ある?」


 芽出さんが尋ねると、ステサリーさんが手を上げた。


「映画とか、どうでしょう?」

「何を見るの?」

「話題の映画があって……」

「どんな?」

「『裏切者トレイター』っていう映画なんだけど」

「難しい話?」

「難しくはないけど重いかな……」

「重いのはやめとこうよ」

「そうだね……」


 ステサリーさんは芽出さんに説得されて諦めた。いやに簡単に引き下がったところからして、本当に内容が重たいんだろう。それでなくても映画は個人個人で好き嫌いが分かれる事があるからね。そもそも映画鑑賞自体が好きじゃない人もいる。

 他に誰も良い案を言えず、僕達はそのまま研究所に帰る事になった。帰りの車内も行きと同じ席順で乗る。


「映画、気になるなぁ」


 そう言ったのは勿忘草さん。それに芽出さんが反応する。


「レンタルすれば良いじゃん。それか後日フランと一緒に見に行くか」

「私のフォビアならバッドエンドでもさっぱり忘れられるよ」

「それって何のために映画を見るのか、もう分かんないじゃんか。記憶を消すのは、名作をもう一回見る時ぐらいにしときなよ」

「そうは言うけど、あれも虚しいんだよね。後になって、そう言えば見たなーって気付くの。どんな感動もぶち壊しになっちゃう」


 二人の会話に窯中さんが加わった。


「あの、映画を見に行く時には私も……」

「重い話が好きなの?」


 芽出さんが意外そうに問いかけると、窯中さんは少し照れながら答える。


「ええと、まあ、好きか嫌いかで言うと……好きな方です」

「そう……」


 芽出さんは重い話が嫌いというか苦手なんだろう。

 車を運転している灰鶴さんも「何が良いんだか」という顔をしている。

 僕は初堂さんに話を振ってみた。


「初堂さんはどうなんですか?」

「どうって?」

「重い話」

「私は……重くない方が好きかな」


 重いのはリアルだけで十分だとでも言う様な、実感のこもった呟きだった。



 帰り道も三十分弱。久遠ビルディングの前に着いて、灰鶴さん以外の全員が車から降りる。


「それじゃ私は車を返しに行くから」


 そのまま灰鶴さんはワゴンを運転して、敷地から道路に出て走り去って行った。

 僕達はビルの中に入って、まずエレベーターの前で窯中さんと別れる。


「今日はありがとうございました」

「また一緒にどっか行こうね」

「はい。宜しくお願いします」


 それから僕と芽出さんとステサリーさんと初堂さんの四人は、六階でエレベーターから降りて、沙島さんと勿忘草さんと別れた。


「カンちゃん、レナ、また明日」

「またね」


 六階の廊下で僕は初堂さんと芽出さんとステサリーさんとも別れる。


「それじゃあ、僕はこれで」

「今日はありがとうね、向日くん」

「いえ、どういたしまして」


 男は僕一人だけで、ちょっと気恥ずかしかったけれど、なかなか皆で仲良く外出する事なんて無いから、こういう機会があるのは良い事だと思う。

 やっぱり僕のフォビアは人の助けになるためにあると思いたい。

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