夏の図書館
1
勉強・運動・訓練・外出――そんな毎日を繰り返して、もう七月末。一般の高校は夏休みの時期に入ったらしい。幾草が僕の部屋によく遊びに来る様になった。
今更だけど僕はウエフジ研究所の社員という事で、毎月給料をもらっている。基本給の十五万に手当が付いて、そこから保険とかを差し引かれる。余り「仕事」をしている自覚は無いから相応……かな? 初給料は家に納めた。
今のところ、家には週一で電話をするぐらいに止めている。家族に会うのが嫌なんじゃなくて、解放運動や監視委員会に目を付けられるのが怖い。だから、お互いに無事でやっていると伝えられれば、それで良い。
ある日、僕は幾草と芽出さんとの三人で、市内の図書館に出かける事になった。
正確には、先に幾草から図書館で一緒に勉強しようと誘われて、そこに芽出さんも付いて来る事になったという経緯なんだけど。
午前十時、芽出さんと一緒に五階に幾草を迎えに行く。僕がチャイムを鳴らすと、幾草の間延びした声が返って来た。
「待ちくたびれたぜ、勇悟。さっさと行こう」
そう言いながら部屋から出て来た幾草は、芽出さんを見て顔を赤らめて俯く。
「あっ、その、おはようございます」
「おはよう、幾草くん。そんな改まらなくても良いのに」
幾草、意外と女の人に免疫がないのか?
幾草は芽出さんを避ける様に遠回りして、僕の背後に回る。
「勇悟、どういう事だよ?」
「どうも何も言ったじゃないか……『もう一人来るけど良いかな?』って。そしたら『良い』って言っただろ?」
「いや、でも、お前……」
目が泳いでいる。幾草の動揺は尋常じゃない。大人の女の人が一緒に来るとは思わなかったにしても。
「都合が悪かったか?」
「いや、そんな事はないんだけどよ……」
芽出さんは怪訝な顔付きになって、慎重な声で幾草に話しかけた。
「迷惑……だったかな?」
「いや、いやいや、全然! 全然そんな事はないです!」
「じゃあ、行こうか」
「はい!」
幾草は明らかに緊張した様子。返事をする声は高いし、動きはぎこちない。
エレベーターまで移動しながら僕は幾草に尋ねる。
「幾草の通ってる高校って、共学だろ?」
「あ、ああ。それがどうした?」
幾草は芽出さんを気にしているのか、僕への返事にも緊張が感じられた。
「学校に女子とか、普通にいるよな?」
「そりゃあ……そうだよ。半分は女子だ」
同年代の女の子の前でも、こんな風になるとは思えない。大人の女性が苦手なんだろうか?
ビルの外に出ると、夏の強烈な熱気と日射しに襲われる。燃える様な暑さだ。僕達はバスで図書館まで移動するんだけど、バス停まで歩くだけで汗をかく。道路が
屋根付きのベンチに座って、直射日光を避けて待つ事、数分……市営の巡回バスがやって来た。
平日の昼間、街外れを走るバスという事で、車内は空いている。エアコンが効いていて涼しい。
幾草が手近な席に座ると、その横に芽出さんが座った。芽出さんの行動が予想外だったのか、幾草は驚いた顔をして縮こまっている。僕は二人の後ろの席に座った。
バスが出発して少しの沈黙を挟み、芽出さんは幾草に話しかける。
「幾草くんだよね? 同じ所に住んでるのに、全然顔を合わせないから、一度話してみたかったんだ」
「いや、そんな、別に僕は……」
幾草、一人称が変わってるぞ。大人の人の前では「僕」になるのか?
「部活とか何やってるの?」
「……カードゲーム研究部です」
「何する部活?」
「えっと、カードゲームを調べる部活です。名前の割にまじめな活動で、発表会とかやってます」
てっきり幾草はアウトドア系の性格だと思ってたのに、そんな部活動に所属してたなんて。人は見かけによらない。
「調べるって、トランプの遊び方とか?」
「はい。他にもカルタとかトレカとか、どんな種類があって、どんなルールがあるかってのを。意外と歴史の長い部活なんで」
「図書館にも、そういうのを調べに?」
「いや、違います。今日は数学の課題を片付けに。それと読書感想文の本選びも」
幾草は少しずつだけど、話し慣れて来たみたいだ。完全にではないけれど、緊張が解れている。
それから十分ぐらいバスに揺られて、僕達は図書館前に到着した。お金を払ってバスから降りると、図書館の中に入るまで、また猛烈な日差しの中を歩く。太陽が高くなっているから、暑さも厳しくなっている。
そして館内に足を踏み入れると、またエアコンの効いた涼しい空間。温度差で体調を崩しそうだ。
幾草は早速、空いた席に着いてテーブルの上に数学の課題を広げる。僕も数学の本を広げて、幾草の勉強に付き合った。幾草の課題の内容は、円と三角関数、それに不等式と高次方程式……。三角関数は分からないけど、他のは何とか付いて行けそう。
芽出さんは幾草の隣に座って、課題を横から覗き見している。
「懐かしいね。私、数学苦手だったから、こういうの嫌いだったなー」
芽出さんは高校に通っていたんだろうか? F機関にいるフォビアの人達の多くは小学校高学年から中学生の間にフォビアに目覚めているんだけど、ちゃんと高校を卒業できた人は何人ぐらいいるんだろう?
当の幾草は隣の芽出さんが気になって、勉強が捗らないみたいだ。
「芽出さん」
「何?」
僕は手招きで芽出さんを呼び寄せて、幾草から離れさせると、小声で言う。
「勉強の邪魔をしちゃ悪いですよ」
「そんなつもりはなかったんだけどね」
芽出さんは一時離席すると、漫画の本を抱えて戻って来る。
これはこれで勉強の妨げになりそうだけど、静かにしてくれるなら良いと思って、僕は何も言わなかった。
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