6

 僕達はエレベーターに乗って、地下三階から地上に向かう。さて、これからビルの外に出ようというタイミングで、僕は石建さんに手を差し出した。


「石建さん」

「何じゃ、その手は?」

「何かあるといけませんから」

「ガキじゃあるまいし。ふざけておるのか?」

「そうじゃなくて……」


 この人は自覚が無いんだろうか? それともフォビアの制御にある程度の自信を持っているのか?

 とても言い難かったけれど、僕は指摘した。


Fが暴走しない様に……」

「手を繋いでおれば、Fの暴走を防げるのか?」

「そういう訳じゃないですけど」


 改めて考えてみると、確かに手を繋ぐ意味は無い。僕のフォビアは接触している事が発動の条件じゃないのに、どうして手を繋ぐ必要があるって思ってたんだろう?

 ――人を安心させるため? それとも人と手を繋いで安心したかったのは僕の方なんだろうか?


「やはり子供扱いしておるではないか」


 はぁ、面倒臭い。どうして素直に言う事を聞いてくれないんだ。

 もう手は繋がなくてもいいや。何かあったら、すぐフォビアを発動できる様に構えていれば良いだろう。



 僕達四人は真夏の晴天の下に出る。


「うわ、暑……」


 石建さんの第一声は「暑い」だった。

 そりゃ夏だから、暑いのは当然だろう。最近は「命に関わる暑さ」だとか言われているけれども。

 石建さんは堪らず日傘を差して、小鹿野さんに不満を口にする。


「暑いのう、暑いのう まるで蒸し釜だのう……。おかしくないか? 今年は異常気象の年か?」

「毎年こんな感じですよ。温暖化の影響と言われてますね」

「こう、未来の技術で何とかならんか?」

「なりませんね」

「現代っ子はこの暑さでよく平気だのう」

「いいえ、全然平気ではありませんよ。外出の禁止が呼びかけられる程です」

「はぁ、未来はもっと豊かだと思っておったのに、これでは終末の世界だのう」

「寧ろ、豊かさの引換え……ですかね」


 そう返された石建さんは、無言で俯いたまま黙り込んでしまった。

 それにしても暑い……。コンクリートの上は火傷しそうな熱さで、アスファルトは陽炎に揺らめている。まだ七月なのに。これで八月に入ったら、どれだけ暑くなるんだろうか……。

 この暑さだから、外を出歩いている人は少ない。いや、そもそもこの近辺は郊外だから余り人が歩いていないんだけども。それを考慮しても人が少ない。

 まあ猛暑日の真っ昼間に外出してる方がおかしいんだけどね。何もこんな日に外出しなくても……と思うんだけど、石建さんは数日後にはコールドスリープで長い眠りにつかないといけないし、僕の仕事の都合もあるし、タイミングは今しかないのかも知れない。


 そんな事を考えながら、僕は小鹿野さんと石建さんの後を付いて歩く。二人から数歩遅れて、炭山さんと並んで。四人で道を塞いで横一列になるのは危ないからね。

 しかし、石建さんは無言の時間が長いな……。ちょっと心配になった僕は、小鹿野さんに小声で呼びかける。


「あの、小鹿野さん。石建さんは大丈夫ですか?」

「ん?」


 小鹿野さんは日傘の下を覗き込む様にして、石建さんの表情を窺う。


「石建さん?」


 石建さんは返事をしない。何か一言か二言は反応があると思っていた僕は、ますます怪しむ。足取りはしっかりしているみたいだけれど……。

 僕は石建さんの前に回り込んで、そっと表情を窺った。その目はボーッと遠くを見詰めている。


「石建さん」

「……何じゃ、小僧」


 僕の呼びかけで、初めて石建さんは反応した。でも余り元気が無さそうだ。


「どうしたんですか?」

「……震災の事を思い出しておった。あの時もこんな風に猛烈な熱気でのう。建物は崩れ落ち、人々は逃げ惑い、地上の地獄の如くであった。それなのに、どうして……どうしてこの街は崩れ落ちておらんのだろうな?」


 さらっと怖い事を言ったな。どうしてって言われても……。


「今日は暑いだけで、地震が起きた訳じゃないですから」


 僕が苦笑いして答えると、石建さんは大きな溜息を吐いた。


「はぁ、疲れたのう。もう戻って休むとしようか」


 まだそんなに歩いてないのに。何十年……いや、百年近いブランクがあって外に出たんだろうから、しょうがないのか?


 僕達は徒歩で研究所に引き返す。移動距離は往復で2km弱。一時間にも満たない、短い外出だった。

 涼しい屋内に戻って、僕達は汗を拭う。そしてエレベーターで再び地下三階へ。

 エレベーターの中で小鹿野さんは石建さんに問いかける。


「久々の外出はどうでしたか?」


 何をした訳でもないから、どうもこうも無いと思うんだけど、石建さんは答える。


「悪くないかもね。次はもっと涼しい時が良い」

浪波なみわ辺りに伝えておきます」

「そうしておくれ」

「但し、向日くんの都合が付くとは限りません」

「ああ。その時はしょうがない」


 何だかんだで石建さんは次も外出するつもりらしい。

 エレベーターは地下三階に到着して、そこで僕はお役御免となった。一人だけエレベーターに残って、僕は六階に戻る。


「それでは、僕はこれで」

「ああ、ありがとう、向日くん」


 小鹿野さんと炭山さんに一礼して、これで終わりかと思っていたら、石建さんが僕の名前を呼んだ。


「向日!」

「はい」

「また……宜しく頼む」

「ああ、はい。では、また……」


 エレベーターの扉が閉まって、上の階へと移動する。

 石建さんは僕を認めてくれたのかな? とにかく悪い感情を持っている訳じゃないみたいだ。どういう心境の変化があったのかは分からないけれど、僕は少し嬉しい気持ちになった。

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