交通事故にご用心

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 八月、暑さもいよいよ本格的になって来て、本気で外出を躊躇う頃。ニュースでは毎年の様に最高気温を更新と言っている気がする。そんな時期に、僕は上澤さんに副所長室に呼び出された。


「やあ、向日くん。ご機嫌いかがかな?」

「普通ですね」

「良くも悪くもないという事だな。それは結構。さて、本題に入ろう。また海外からフォビアが来るらしい」

「今度はどんな人なんですか?」

「それがよく分からないんだ。ただ、どんなフォビアかは判明している」

「そういう事ってあるんですか?」


 フォビアだけが判明してるって、実際に起こり得るんだろうか? 誰がフォビアを使ったかは分からないけれど、どんなフォビアを使われたのかは分かる状況ってのが想像できない。


「日本にも諜報機関はある。存在を知られていないだけでな」

「公安じゃないんですか? 公安って外国でも活動してるんですか?」

「まあ、何なりと方法はあるという事だ」


 どういう意味だろう……? 僕が気にする様な事じゃないって言いたいのかな?


「それで、今回はどんなフォビアが相手なんですか?」

「交通事故だ」

「交通事故?」

「そう、交通事故。事故で要人を暗殺する」

「そういう事が……できるんですか?」

「やらせる訳にはいかないから、君を呼んだ」


 暗殺か……。初めてヤバそうなのが出て来たな。


「誰が暗殺されるんですか?」

廉市かどいち元外務大臣」

「えっ、元大臣? どうして……」


 また国内の誰かの依頼だろうか? それともガチのマジで暗殺しようとしている?  一体何があったんだ?

 疑問に思う僕に、上澤さんは言い難そうにしながらも、丁寧に説明を始めた。


「理由を言ってしまうと、身から出た錆なんだがな。外務大臣の時に、外遊先で舌禍があった。その場では相手も笑って納めてくれたが、やはり侮辱は許し難いとなったらしい」

「何を言ったんですか?」

「宗教的なアレだよ。元から舌禍で知られた人だったが、こういうのに限って変な人気がある。まだ若いからと総理も庇っていたが、先日外務大臣の職を辞した。これがまた悪い方に解釈されたらしい」

「解釈……?」

「つまり、やってしまっても構わんと受け取られたんだ」


 もう要職から離れた人物だからって事か……。辞任したから許そうとか、そういう風には思ってくれなかったって訳だ。

 それって日本特有なんだろうか? 役職を辞めたり、死んだりしたら、もうそれは終わった事として追及しないとかって。

 報復を企んでいるのがどこの国だとか、そういうのは聞かない方がいいのかな?

 大臣の失言ともなれば、当然報道されているだろうから、自分で調べれば、すぐ分かるだろうけれど。


「廉市議員も素直に謝罪すれば良かったんだが、相手方の誤解だと言い張った上に、脅迫には屈しないと突っ張って、更に問題をこじらせた。野放図を勇敢と評価する。配慮する事を敗北と捉える。人間の本当の貧しさとは、心が貧しくなる事だとは思わないかね?」

「難しい話はパスでお願いします」

「そうだな。君は未成年だから、まだ選挙権も無い訳だしな。とにかく好い年した大人の尻拭いを頼むよ」


 すっっごい嫌な言い方をされた。素直に「はい」と返事をし難い。僕だって他人の尻拭いなんかしたくないよ。何で見ず知らずのおっさんの自業自得をどうにかしないといけないのか……。


「向日くん? 頼むよ?」

「……はい」


 上澤さんに念を押される様に言われて、僕は渋々返事をした。

 どっちにしろ仕事は仕事だ。いくら自業自得でも、外国の勢力に国内で好き勝手させる訳にはいかない。


「ところで……いつ仕掛けて来るとか、そういう事は分かってるんですか?」

「先週、過激派グループからの犯行予告があった。取り敢えずは一ヶ月、廉市議員のボディーガードとして付いて欲しい」

「本当にフォビアなんですか? ガチでテロリストが乗り込んで来たら、僕のフォビアじゃ対抗できませんよ?」

「その辺は君以外にもボディーガードが付くから、安心したまえ」

「もしかして頼来警備保障?」

「そうだよ。警護対象は表向きは自宅で病気療養中という事になっている。あちこち出歩く訳じゃないから安心してくれ」

「……家の中なら交通事故は起こらないんじゃ?」

「そうとは限らない」


 飛行機が落ちたり、大型トラックが突っ込んで来たりするのかな?

 とにかく僕は一ヶ月間、東京で過ごす事になった。


 上澤さんは最後に深い溜息を吐く。


「はぁ……。しかし、今年の夏休みに皆で海に行く計画は取り消しだなぁ」


 あー、去年そんな話をした様な気がする。ますます恨めしい気持ちになって来た。

 何だかなぁ……。世の中ままならない事だらけだ。

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