十二月二十三日 東京タワー完成の日

 昭和を代表する東京のシンボル「日本電波塔」こと東京タワーが完成したのは昭和三十三年(一九五八年)十二月二十三日のことだ。

 高さ三三三メートルは、スカイツリーが出来るまでは日本一を誇っていた。


 一応、当時のサービスエリア(東京を中心に東西南北=銚子、甲府、沼津、水戸)を網羅できる電波を飛ばそうと計算する(電波科学に基づく)と、鉄塔の高さが三三三メートル必要だった、ということになっている。

(本音では「せっかくだから、エッフェル塔より高いの作りたいよね☆」というライバル心もメラメラしてたよ)


 余談だが、東西鉄骨ブラザーズ=東京タワーと二代目通天閣( in 大阪)の設計者は同じ人物である。


 さて、この東京タワー、建設から運営からメンテナンスから何から何まで引き受けている親会社がある。

 それが資本金一億円、昭和三十二年創業の株式会社TOKYO TOWER——生業としては、総合電波塔の設置経営、観光地の経営および不動産賃貸業である。

 創設者は大阪放送や産経新聞、カンテレ(関西テレビ放送)等の社長を務めた通称「大阪の新聞王」だ。他にも、千葉県マザー牧場や木更津のコミュニティ放送局なんかの株式も取得してたりして非常に手広く商売をしている御仁である。


 話を東京タワーに戻す。

 実は、夏とそれ以外の季節でライトアップの色味を変えているという東京タワー。夏場はメタルハライドランプのシルバー色が輝き、春秋冬は高圧ナトリウムランプのオレンジ色が温かみを感じさせる。

 合計一八〇灯ものランプ交換は年に二回、全て手作業で行われているという。

 因みに、ライトアップにかかる一日あたりの電気代はおよそ二一〇〇〇円とのことだ。ばっくり手計算すると年間、三六五日でおよそ七六六万五千円である。


 それはさておき、東京タワーの上部ツートンカラーは厳密には「白」と「黄赤色(インターナショナルオレンジ)」で交互に塗り分けられていて、これは航空法と航空法施行規定に基づいている。

 同法律では「高さ六十メートル以上の煙突、鉄塔、骨組構造の建築物や航空機の航行の安全に影響を及ぼす可能性のある建物」に対して「白と黄赤色で交互に塗り分ける」ことを定めていて、これを俗に「昼間障害標識」と呼んでいる。

 街中でこの色味のツートンを見かけたら、「ああ、あの煙突六十メートル超えてんねんな」と分かるわけだ。

 東京タワーの場合、五年に一度の周期で一年をかけてのべ九千人の手作業で塔体塗装メンテナンスを繰り返している。


 おや、スカイツリーは黄赤ちゃうやん、って思うやん?


 ほんのりと青みがかった「スカイツリーホワイト」がシンボルカラーであるスカイツリーは、昼間障害標識を設置していない代わりに常時「障害灯」を点灯することで代替している。

 施行規定にも「高光度航空障害灯又は中光度白色航空障害灯を設置するものを除く」と明記されているので、ちゃんと法律はクリアしてるのである。


 晴れている日はタワーの展望台から富士山も見通すことができる東京のランドマーク「東京タワー」。今でこそ電波塔としての役目は譲渡したが、依然として人気の観光スポットであることに変わりはない。

 本日はそんな東京タワーの六十三回目の誕生日である。

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