十二月十五日 ザメンホフ先生の誕生日
誰?
安政六年(一八五九年)十二月十五日、帝政ロシア時代のポーランドに生まれたユダヤ人医師(眼科医)にして言語学者であるルドヴィゴ・ザメンホフ医師の誕生日である。
だから、誰?
この人を語る上で必ず出てくるのが「エスペラント」である。
何それ?
エスペラントとはザメンホフ医師がティーンの頃から構想していた国際補助語のことであり、全世界人の第二言語として普及させることを目的とした人工言語である。「知ってた!」って人は相当の博識だ、お見事。
さて、このエスペラントが生まれた背景にはザメンホフ医師が「ユダヤ人」であったことが多少なりとも影響している。
旧約聖書の時代から土地を追われて流浪してきた民族、ユダヤ人。彼の育ったポーランドは激動の時代の中で幾度となく強国の脅威に晒されケーキカットされてきた多民族国家(当時の構成は主にロシア人、ポーランド人、ユダヤ人、入植ドイツ人等々)の一つであった。
(歴史的に見てもロシアは「趣味なのか?」と思うほどポーランドを刻みまくっている)
民族、宗教、言語、価値観、全て異なる人種のるつぼでは些細なことでも時に大きな
「宗教とか国とか関係なく、みーんなおんなじ言葉しゃべったら、世の中平和になるんちゃうん?」
ある意味、ビフォー・バベルの塔という感じだ。
そして明治二十年(一八八七年)、二十七歳の時にエスペラントで執筆した最初の手引書を世に出している。本当は、もう少し早く出版できる予定だったのだが、ロシア政府に警戒されて検閲に引っかかったりして遅れたそうだ。
このエスペラント、最初の構想は「ラテン語回帰」だったという。
しかし、既にラテン語そのものを母国語とするネイティブスピーカーは消滅していて書き言語しか残っていない「過去の言葉(言語学的には死語と表現)」だ。
しかも、言語形体がめちゃめちゃ複雑(名詞一つとっても男性名詞、女性名詞、中性名詞、神名詞とかあったりして接続する語彙で同じ単語の語尾変化が異なったりする古代ギリシャ語の影響バリ受けてたりして覚えるだけで禿げ散らかす)で、一言でばっくりまとめると「こりゃあかん」だった。
とはいえ、エスペラントはラテン語の流れを汲むいわゆる「ロマンス語派(フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語など)」が全体の七割程度を占めており、二割は「ゲルマン語派(ドイツ語、英語)」で残り一割がその他(ロシア語とかスラブ系言語などなど)を加味してまあまあ簡略化した感じの構成となっている。
それゆえ、基本的な文法構造もSVO(主語+述語+目的語順)式なのである。
このことから、言語学的分類から見ても「インド・ヨーロッパ祖語からヒントを得て人工的に派生させた言語」であるということが窺える。
あくまでも重心はユーラシア大陸からゆるーっと西側を向いて置かれているのだ。
以上を統括すると「日本人にとっちゃ英語習うのとさして変わらん労力やん。多少マシかもしれんがの」というレベルの言語形体なのである(悲しいことに)。
ただでさえ、英語習得を苦手としている日本人にとって、耳馴染みのない言語と化している原因は、おそらくこの辺りにあると個人的に思っている。
それでも誕生から僅か一三〇年あまりで約百万人を超えるエスペラント習得者がいるそうだから、決して侮ってはいけない新興言語というわけだ。
もちろん日本にも正式に、一般社団法人日本エスペラント協会(前進団体の創立は一九一九年)が存在している。
例年秋頃にエスペラント大会なる催しを開いて普及活動に勤しんでおり、協会発足前から第一回大会が明治三十九年(一九〇六年)に開かれ、来年二〇二二年は九月に第一〇九回大会が開催予定である。
とりあえず、ザメンホフ医師の名前は、エスペラントとセットで覚えておくと何だか博識っぽい感じは出せる(のか?)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます