七月二十八日 オーストリアがセルビアに宣戦布告したので第一次世界大戦はじめます

 前出の大正三年(一九一四年)六月二十八日。

 ヨーロッパ最大級の帝国(当時)オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇位継承者であったエスターライヒ・エステ大公夫妻が、サラエボを訪問中にセルビア系民族主義テロ組織に狙撃暗殺されてから、まる一ヶ月後。


 この日、とうとうオーストリアがセルビアに宣戦布告をしたことで、世界中に飛び火した戦火によって第一次世界大戦が勃発することとなった。

 宣戦布告した側、受けた側、双方がヨーロッパ各国に支援要請をし、利害関係が一致した国々が次々と参戦する。


 ばっくりと組み分けすると、セルビアを後方支援していたロシアは、東欧の地を踏み台に虎視眈々とヨーロッパを狙っていたし、そんなロシアに危機感を抱いていた帝国側はオーストリア・ハンガリー、ドイツ、イタリアで同盟を組んで対抗していた。


 そこに、この頃はロシアと経済的協力関係にあった英仏がロシア側につく形でセルビアを援護し、日英同盟を結んでいた日本は当然、イギリスの後方支援をすることになる。


 さらに帝国側にはロシアと国境を接するアジアの雄オスマントルコ、東欧の地で踏ん張っているブルガリアが参戦することになった。(オスマントルコはベルリン条約で、そもそもサラエボをオーストリアにぶん取られているので複雑な立ち位置だが、ロシアの脅威は看過できない)


 すると、帝国側からイタリアが離脱し英仏露日の経済圏に鞍替えしてくる変わり身の術を発揮し、ドイツの進軍経路になってしまうベルギーが経済圏に参加。大西洋を挟んだお向かいではイギリスに呼ばれたアメリカが渋々顔を出し、太平洋を挟んだお向かいでは日本に続いて中国までが手を挙げた。

(この頃の中国は欧州によるケーキカット状態)


 この規模が、第一次世界大戦と呼ばれる所以である。

 総動員数のべ七千万人、うちヨーロッパ勢六千万人が激突する、とんでもない規模の戦争となった。現在の国境で換算すると実に五十カ国もの国々が巻き込まれた計算になる。


 ドイツとフランスに挟まれた可哀想なベルギーは激戦区となったし、ロシアも何やかんや国内革命続きで帝国崩壊し、最終的には講和条約を結んで手を引いた。

 ヨーロッパ最大級の帝国であったオーストリア・ハンガリーも瓦解し、アジアの雄オスマントルコも帝国としてはこの戦いで滅んだ。


 日本は部隊としては直接ヨーロッパ大陸へ乗り込んだわけではないが、中国・青島(当時はドイツ租借地)でドイツ軍と激突し、そのまま青島をぶん取っている。

 余談だが、青島ビールが製造されていたのはドイツ影響下だったこの頃で、ぶん取ったあとは日本が青島を手放すまで製造を引き継いでいる。

(まあ、生産ラインとしてカネになるのは分かるのだが、生真面目なのか食に貪欲なのか……多分両方だろう)

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