一月十日 十日戎(えべっさんの日)

 七福神の一角を占める商売繁盛の神様、えびす神を祀る神社で行われる祭日。どちらかというと西日本で盛り上がりを見せる祭りだが、特に有名どころ大阪の今宮えびす(福娘)と兵庫県の西宮にしのみや戎(福男)の知名度は全国区ではなかろうかと思う。


 事前の福娘コンテストを勝ち抜き見事選ばれた福娘たち三名は、えべっさん期間が終わった後も「◯◯年の福娘に選ばれました」というだけで就職にめっちゃ有利になる——というのは関西就活あるあるだ。


 そして、西宮神社の開門神事——午前六時の開門と同時に怒濤の如く参道を走り抜けて足の速さを競う福男イベントも、応募者が多すぎて毎年抽選になるほどの盛況ぶりである。

(ただし、このコロナ禍で昨年に続き今年も福男ランは中止となっている・無念)


 さて、そもそも福の神「えびす様」とは何者なのか。

 一応、西宮神社(えびす様の総本社)における由緒では、大阪湾を臨む和田岬(神戸市兵庫区)の沖から「御神像」が現れたのを地元の漁師がお祀りしていたところ、神託が下って現在の西宮神社に移したとされている。

 それがいつの事かは定かではないが、少なくとも平安時代には既に「えびす様」だとされていたという。


 西宮神社は元々、廣田神社(西宮界隈ではもっとも格式高い由緒ある古社)の浜南宮であった場所だ。

 そして、江戸時代以前、開拓される前のこの場所は西宮湾ともいうべき海であったとされている。

(地図上で確認すると、現在の西宮市役所がある辺りまで広く入り込んだ深江だったことが窺える)


 そして、「えべっさんの御神像」を祀っているはずなのだが、三連春日造りと呼ばれる少し特殊な社殿に、実際祀られている神々は次のとおりだ。


 向かって左(第一殿)には蛭児大神、中央(第二殿)には天照大神および大国主大神(明治初期に合祀)、そして右(第三殿)に須佐之男大神となっている——そう、どこにも「えびす様」は見当たらないのだ。


 注視すべきは第一殿のヒルコ(蛭児)という名前——日本の国産み神話において、イザナギのみこととイザナミ命の間に生まれた子だが——古事記では「島として出来損ない」であったために海に流されてしまった可哀想な子である。

 有史以前の淡路島(最初に天沼矛あめのぬぼこを突き刺して造ったとされるオノコロ島は淡路島の南の方に岩礁として存在している)から流されたとしたら、潮の流れを鑑みても和田岬沖を漂流し、やがて西宮湾へと流れ着くことも十分に可能な地形だったと推察できる。


 古事記でも流された後のことは記されていない。

 現代のように医療も社会制度も整っていない時代、いかに権力者の子供とはいえ、未熟児あるいは障がいを抱えて生まれてきた子が残酷な選択に晒されたことは想像に難くない。

 おそらく、西宮湾に流れ着いたヒルコは既に息絶えていたか、あるいは助からない状態だったことだろう。

 そこに塚なり社なりを建てて祀るという風習は、古事記に限らず散見されるエピソードだが、古代日本社会においてヒルコ事件に限りなく近い何かがあったとしてもおかしくはないなあと、ふと考えたりする。


 孤独に死んでいった嬰児をせめてみんなで賑わせて慰める——それが「えべっさん」だとしたら(発見者が「漁師」なら、えべっさんの鯛と釣竿も納得だ)、神話の世界がぐっと身近になる神社——西宮戎もその一つだと思わずにはいられない筆者である。

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