七月十四日 フランス革命が始まった日

 寛政元年(一七八九年)七月十四日。日本では徳川家斉とくがわ いえなりが第十一代将軍であった頃。東蝦夷地(北海道東部)ではアイヌが蜂起する騒動があったが、遠く太平洋を隔てたフランスでも歴史を揺るがす大事件が起こっていた。


 フランス王国ブルボン王朝末期——長らく王侯貴族が横行していたこの地で資本主義が目覚めようとしていた。ブルジョア革命と呼ばれた二二三〇日に及ぶ泥沼の混乱期の始まりである。

 こんにちのフランス共和国の定礎となった日として、現在では建国記念日であり大々的にお祝いするパリ祭の開催日でもある。


 この日に何があったのか。

 それはバスティーユ監獄がフランスの市民に襲撃、制圧された日である。

 元々十四世紀ごろに要塞として建設され、その後は刑務所として機能していた施設である。収容されていたのは、精神疾患患者や政治犯といった人たちが主で当時としては封建的な権力者=王侯貴族に代表される旧体制のシンボル的存在だった。


 そんな旧体制の象徴を分かりやすくぶっ壊した市民——この場合は、ばっくりと既得権益ずぶずぶの封建的な王侯貴族ではない、その他の人々という括りで良い。いわゆる商業人やそれで財を成した上級庶民が先導し、金持ちに反感を持っていた中産階級以下貧困層が丸ごとくっついてきた構図だ。

 もちろん、庶民にも派閥はあったが、全体的な空気感としてはアンチ王侯貴族の暴動である。その暴動には既得権益ずぶずぶ貴族が裏で糸を引いていた側面もあったりする、非常にドロドロした時期だ。


 大西洋を挟んだお向かい北米大陸では、アメリカが無事に独立戦争を勝ち抜いて自由主義万歳、資本主義万歳のアメリカンデモクラシーを叫んでいたものだから、フランスも「やったるでー」という機運が高まっていた。

 どちらも現在の資本主義極振きょくぶりを代表する事件ツートップと評価されている。(自由の女神を贈り合うには贈り合うなりの共通点があるものだ)


 こうなるとフランス革命=打倒旧体制、さよなら王様、資本主義に向けてギロチンフル稼働みたいな捉え方をしてしまうが、フランス革命そのものは始まり当初よりも革命後の方が混迷を極め悲惨な事態を招きに招いていたりする。

 そして日和ひよったブルジョワジー諸君は、散々既得権益ずぶずぶ貴族とその他の首を娯楽ショーの如く刎ね飛ばしておきながら、なぜか再び王制回帰していたりと、コレジャナイ感とともになかなかスパッと体制が定まらない時期が続く。


 そして現在、王制を廃止したフランスには建前上いわゆるお貴族様は存在しないはずなのだが、このコロナ禍でロックダウンが宣言された際、名家の金持ちは田舎の旧領地に引っ込んで、悠々自適の自粛生活(いや、長距離移動してるよね)を満喫していたりするのだ。

 長らく続いた地の歴史は、二百年や三百年そこそこでは簡単に途絶えたりしない——ということなのだろう。二〇一九年にじわっと世間を賑わせたナポレオン一世の子孫と、オーストリア皇帝の子孫が華々しく結婚したというニュースをふっと思い出した。

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