二月八日 郵便徽章(仮)→のちに〒

 郵便ハガキは、つい二十年ほど前までは「官製葉書」と呼ばれる仕様だった。平成十七年(二〇〇五年)の郵政民営化公布によって、お上の事業だった日本郵便公社は日本郵政株式会社となり、そこから郵便局株式会社(切手ハガキの販売や集荷等)、郵便事業株式会社(配達事業)、株式会社ゆうちょ銀行(金融)そして株式会社かんぽ生命保険(保険会社)の四社へと細分化されて現在に至る。


 つまり、元々の郵便事業に携わる職員はゆるっと国家公務員だったわけだ。そして、その原型は明治時代に構成されたものである。


 明治十八年(一八八五年)、内閣制度の発足とともに広く通信と交通インフラを管轄する官庁が設立されることとなった。

 内容としては駅逓えきてい(郵便)と管船(船舶船員管理)、電気通信事業と灯台(航路標識事業)を統括する部署で、駅逓と通信の一字ずつをとって「逓信ていしん省」が誕生した。


 この逓信省、誕生からしばらくは徽章きしょうとして「丸に一つ引き」紋を掲げていたようだが、明治二十年(一八八七年)二月八日に、徽章を刷新する旨を公布したという。

 それが「てい」マークだったそうだ。

 逓信省の「てい」読みを宛てたとも言われているし、甲乙丙丁の「丁」から取ったとも、またアルファベットにした際の「TEISIN」の頭文字を取ったとも言われている。


 しかし、この「丁字」郵便徽章(仮)は発表したものの一週間足らずで、しれっと訂正をかけられることになった。

 それが現在の郵便記号「〒」である。

 テイシンの「テ」を図案化したものということらしい。郵便記号がカタカナ発信だとは思わなかった。言われてみれば、なるほど確かに「テ」に見える。


 なぜ「丁」を「テ」にマイナーチェンジしたのかも諸説あるが、一番もっともらしい理由として挙げられているのが「料金不足記号のT(国際規格表記)と紛らわしいから」というものだ。

 発表する前に、そこはちゃんと調べておこう?

 明治政府のうっかりが垣間見えた瞬間である。


 そして、地味な雑学として、「〒」の正しい読み方は「郵便記号」であるらしい。

 郵便マークと表現する人も多いと思うが、郵便マークは顔郵便「〠(←コレ。文字化けしてたらゴメンね)」を指すようで、一応区別されているそうだ。


 そしてそして、顔郵便マークに手足が生えたバージョンは「ナンバーくん」と呼ばれている。郵政公社だった頃の名残なので、ナンバーくんは二次元国家公務員だったと推察される。

 そしてそしてそして、この顔郵便マークが民営化後、キャラクター化したものが、我らが「ポストンくん」である。


 え、知らない? そんなあ。

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