三月十二日 明治政府からのお知らせです「土曜半休、日曜休日制度始めまっす」

 現在、週休二日(土日休み)というのは、企業でも学校でもごくごく当たり前に浸透した休日制度だが、実は週休二日制度が確立したのは平成十四年(二〇〇二年)になってからのことである。

 特に学校では土曜日を完全休日にする試みは、平成四年(一九九二年)に初めて第二土曜日を休日に据えて、二年後には第二、第四土曜日を休みにするというステップを踏んでからの土曜完全休日となった。

 この辺りの義務教育世代が後世「ゆとり世代」などと呼ばれている現在のアラサー、アラフォー陣である。


 では、かつての日本ではどういう休日体制をとっていたのかというと、江戸時代は毎月、「一」と「六」がつく日が休みとされていたという。

 俗に「イチロク日」と呼んでいたそうだが、厳密には地方の村単位コミュニティによって、多少のバラツキがあったらしい。

 共同体意識が強いから、休みの日は村全体で一斉に休むと決められていたようだ。そんな休みの日は別名「遊び日」とも言われていたという。

 実際に遊び回るというよりは、村の大事な祭りなんかが行われる日という認識だったらしい。

 ご近所付き合いが大変そうだ(現代人の感覚)


 この考え方は維新後も踏襲されていて、明治元年となった一八六八年時点でも「イチロク日」はオフィシャルホリデーとして成立していた(ただし月末三十一日を除く)。

 しかし、生活習慣が否応なく西洋化していくと旧来のやり方では困ることが増えてきた(主に政府が)。

 特に交易の面なんかでは、休みの違いが大きな支障をきたすようになったため、休日体制も欧米化することになった。


 ご存じ、キリスト教徒が大半を占める欧米では、多少宗派の違いはあれど、土曜日は安息日、日曜日は礼拝日(宗派によって厳密には定義が異なる)という休日縛りがある。

 世界を創造したカミサマが七日目に休息をとったから、敬虔な信者の皆さんは倣え〜という感じだ。

(そもそも現実的な最初の日曜休日制度は、四世紀のローマ帝国で休業令が出されたことに由来するとするという説もある)


 宗教的背景は置いておいて、とりあえずビジネス先行で欧米スタイルに合わせるべく、明治政府は日本の休日体制の改正に乗り出した。

 それが、明治九年(一八七六年)三月十二日から官公庁で実施された土曜半休、日曜休日制度である。


 この半休のことを昭和世代は「半ドン」などと呼んでいたりするが、この「ドン」の語源は当時長崎に居留していた外国人(主にオランダ人)由来だとする説がある。

 オランダ語で休日のことを「zontag」というそうだが、これが鈍って「どんたく」となり土曜の半日休みをさして「半ドン」と表現し定着していったというのが一説である。

(博多どんたくも語源は同じらしい)


 もう一つは、明治時代、正午の合図に皇居から毎日大砲を一発ぶっ放していたという。午砲と呼ばれていたそうだが、この時の音を「ドン」で表しており、「土曜日は午砲がドンと鳴ったら休み」が転じて半ドンになったとするのがもう一つの説だ。

 いずれにしろ、完全週休二日制となった平成以降に生まれた世代では、死語に等しい表現と言えるかもしれない。

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