二月十六日 「ロッキード事件」の証人喚問で流行語が生まれた日
ロッキード社——そのルーツを遡るとライト兄弟の飛行機会社へと行き着くのだが、時代を下り数々の統合買収を経て世界規模の大企業へと成長したアメリカを代表する航空機製造メーカー大手である。
そんな大手が飛行機の受注生産を巡って世界規模でカネをばら撒き、政治的影響力のある各国要人諸々に「よろしゅう頼んます、へっへっへ」と、やらかしまくった戦後最大規模の汚職事件——それが俗にいう「ロッキード事件」である。
アメリカ国内、上院議会の外交委員会多国籍企業小委員会の聴講会で事態が発覚し、世界中を巻き込んだ外交問題に発展した。
世界規模で巻き込まれた国の一つが、ご存じ我らが日本である。
日本の場合は「時の総理がやらかした事件」として認識している人の方が多いと思う——「元」首相が収賄と外国為替、貿易管理法違反等の罪で逮捕されるという大醜聞が起こったのは昭和五十一年(一九七六年)七月時点のことである。それが故田中角栄氏だ。
事件の余波は大きく、この時期前後して関係者が芋蔓式にずるずる、ずるずる引っ張られていく(中には不審死を遂げる者も続出する)。
角栄氏に近しい要職にあった政府要人、大手商社や航空会社社長、暴力団関係者……等々、本気でシャレにならない人たちの関与が続々と明るみになった。
エピソードタイトルのとおり、後世に迷言を残すことになる小佐野賢治氏もその一人である。
その瞬間は逮捕の前に遡る。
同年二月十六日時点、国会(衆議院予算委員会)ではロッキード事件絡みで第一回証人喚問が開かれた。そこで答弁者の一人として登壇したのが件の小佐野氏である。
そして、同氏は一貫してこう答え続けた。
「記憶はございません」
「記憶がありません」
ただでさえ世間の注目度の高かった事件である。この言葉は瞬く間に人々の間に浸透し、メディアを通して当時の流行語となった。
何かあると「記憶にございません」と空とぼけるフレーズは、ここから生まれたと言って差し支えない世紀の迷言だ。
因みに、この発言が原因で偽証罪で裁判にかけられ実刑判決を受けているのだが、同氏はこれを不服として死ぬまで控訴していたようである。(病死したことで控訴棄却されている)
角栄氏が総理職に就く前から懇意にしていた人物で、財政界と暴力団の仲介役でもあった小佐野氏自身はマックロクロスケも逃げ出すレベルの黒々真っ黒だが、一応、業界きってのホテル王であり、倒産寸前企業の再建マン(非リストラポリシー)という現場で働く人々の救世主という顔も持っていた。
その方面の手腕だけを発揮していれば、逮捕されることもなかっただろうに……。
(この点だけは、リストラポリシー再建マンだった——実態は日産の国内製造部門をボロボロにして自分はエグいほど稼いでいた——楽器ケースにゴンゴン氏とは違う点だな、と密かに思った筆者である)
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