三月十日 東京大空襲
太平洋戦争末期、終戦を迎えるまでの約八〜九ヶ月あまりで東京は総計一〇六回もの空襲を受けているが、その中でもワースト五に挙げられる大被害を出した日の一つ。
昭和二十年(一九四五年)三月十日、深夜零時を過ぎたあたりから開始されたわずか三時間ほどの空襲で十万人を超える死者を出し、十五万人以上の負傷者、八十五万戸を超える家屋が焼失し、戦争被災者はのべ三一〇万人にのぼったという。
闇雲に攻撃をしたのではなく、江戸時代の大火や関東大震災での被害状況(立地、気象条件等含む)を綿密に調べ上げた上で、木造家屋がひしめく人口密集地(当時、浅草周辺が最も人口密度が高かった)を狙い撃ちした無差別殺戮破壊を目的として計画された作戦だったと言わざるを得ない。
作戦に投入された戦闘機は三百機を超え、そのために開発使用されたM69焼夷弾は三月十日だけで三十二万七千発に及んだという。
ぼてっとした爆弾が次々と落ちていくモノクロ映像を授業やテレビで見たことがある人も多いことと思う。
あのぼてっとしたフォルムは、いわゆる親爆弾で、あの一つ一つの中にそれぞれ三十八発のナパーム弾が格納されているクラスター式爆弾だった。
因みに、ナパーム弾は燃焼する際、空中で大量の酸素を消費するため地上付近では酸素が足らず窒息に近い症状が起こると言われている。
一瞬で周辺を吹き飛ばす程の威力を持っているが、着弾する前から既に二次的被害が出るのが特徴だ。
またゲル状に固めた燃焼剤は、一度着火すると容易に燃えて消えにくく、皮膚に付着すると一瞬で火だるまになってしまうほどの火力を伴うが、普通の水では消火できない非常に殺傷力の強い爆弾という非人道極まるえげつないシロモノである。
平成十三年(二〇〇一年)四月時点で米軍保有のラストナパームが処分されたことになっているが、代替品は開発され続けてきた。
(国際的にも非人道兵器は使用禁止となっているが、限りなくブラックなグレーゾーンで存在している現役兵器である)
現在スカイツリーが聳える隅田川のほとり、言問橋付近にはそんな戦火から逃れようと押し掛けた無数の犠牲者で川が埋め尽くされたという。
空襲経験者の話では、こういう場合、決して川や橋に向かって逃げてはいけないそうだ。むしろ、木々の生い茂る雑木林や山などに逃げ込んだ人の方が生存率は高かったという証言がある。
(防空壕も結局熱波で焼け出される)
浅草寺の境内に静かに鎮座する推定樹齢八百年を超える御神木(イチョウ)は、観光客からは見えない裏側に回ると幹の内部が空洞化し凄まじく炭化してしまっているのだが、それでも尚新芽を生やして緑生い茂る生存木である。
(イチョウはめちゃめちゃ保水力が高い)
国破れて山河ありとは言ったものだが、言葉を発することのない樹木が歴史を語り継いでいることを心に留めておくのも大事なことだろう。
そして、日本では七十七年前の出来事だが、世界を見渡すと現在進行形で繰り広げられている空襲が、そこにある。
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