十月二十八日 上野にカンカンとランランがやって来た!

 動物園のアイドル、ジャイアントパンダ。

 現在、上野動物園では二頭の双子ちゃんが元気に成長中であり、アドベンチャーワールドでは昨年生まれた十頭目の子パンダがお転婆に拍車をかけて、連日愛くるしい姿を見せてくれている。


 大抵の日本人はパンダを見せておいたら、日がな一日テンションアゲアゲで満足してくれるのではないだろうか(偏見)

 実際、私は自粛期間も毎日ライブ配信してくれていた和歌山在住、浜家(アドベンチャーワールド組の総称)の末娘、楓浜ふうひんと母パンダ良浜らうひんの微笑ましい子育て成長記録を毎夜ニヨニヨしながら閲覧して満足している。


 それはさておき、日本での最初のパンダブームは昭和四十七年(一九七二年)に遡る。

 先立って九月に日中共同声明を発し、国交正常化した証として、中国から二頭のパンダが上野動物園に贈られたことが始まりだった。

 同年、十月二十八日のことである。

 時の内閣官房長官自らが羽田で出迎える国賓待遇で、件のパンダカップル「カンカン(♂)とランラン(♀)」はやって来た。一説によると、容姿、性格など総合的に考慮して優良な個体が選び抜かれてきたという。


 因みに、カンカン(康康)は日本に来る前は「シンシン(新興)」と呼ばれており、ランラン(蘭蘭)は「アルシン(二興)」と呼ばれていたそうだ。日本に贈るにあたり親しみやすく改名したということか。

 一般へのお披露目は十一月に入ってからだったが、公開初日にはいきなり六万人が詰めかけ、連日コンスタントに一万五千人が長蛇の列を作る大フィーバーを巻き起こした。


 残念ながら、ランランは七年後に自然妊娠をきっかけに腎不全を患い、治療の甲斐もなく命を落とし、次いで翌年カンカンも心不全で命を落とした。

 二頭は剥製にされてのち、多摩動物公園を拠点にしながら日本全国津々浦々を回り、死してなお稼ぐチカラを見せつけている。


 余談だが、パンダの白黒模様は、山間部でのカムフラージュとして進化したとも、標高のある生息域で効率よく重要部位を温めるためにツートン特化したとも言われているが、実際のところはまだまだ謎の多い生態——それがジャイアントパンダである。

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