七月三十一日 富士山噴火の最古記録が残っている日

 エピソードタイトルからして物々しいが、富士は日本一の山という歌があるのも納得で、現状日本で最も大きい活火山とされているのが富士山である。


 そんな富士山も始まりは海の中だったというから何とも可愛らしい話だ。(ある意味、現在ゆっくりと成長中の西之島みたいなものだろうか?)


 そんな富士山も初めから「富士山」だったわけではない。

 成長に合わせて幾度となく名前が変わっている出世魚のような山なのだ。富士山の周辺ではおよそ百万年以上も前から活発に活動していたようだが、この頃の地球は磁場がしょっちゅう逆転現象を起こしていたような時期である。


 富士山自体の活動が活発になるのはおよそ十万年くらい前の頃からだというが、この頃アフリカ大陸では「ホモサピエーンス!」と産声をあげた人類がいよいよ大移動を開始する。

 富士山の急成長は火山的には「最近の若者は……」という具類なのである。

 第一次成長期の当時は「先小御岳せんこみたけ」さんと呼ばれており、お隣の「愛鷹アシタカ山」さん、「箱根」さんらと競いながら、ドッカンドッカン噴いて一皮剥けると「小御岳こみたけ」さんにレベルアップした。


 小御岳さんは少し休憩した後、再び活発になり第二次成長期を迎えると今度は「古富士こふじ」さんにレベルアップし、標高も三千メートルに達する。


 地球が寒冷期に入ると、古富士さんは「寒いんじゃあ!」と叫びながら何度か火災泥流を起こしているが、標高二五〇〇メートルより上は万年雪を被る氷河地帯だったそうだ。

 この頃の火山灰が関東一円に分布している関東ローム層であると言われている。古富士さんがぶん投げたのは褐色、箱根さんがぶん投げたのは白色をしているので容易に見分けがつくらしい。


 その後の第三次成長期が、我らが富士山である。

 一応、「新富士シン・フジ」さんと区別されている。ゴジラも真っ青になる「噴火デパート期」の到来だ。四階建ての富士山はものの見事に暴れまくっている。


 そして、これまでの軌跡は地質学や天文学的な研究から紐解かれた富士山の活動記録であるが、人間が記録した最古の富士山噴火と言われているものは、奈良時代末期に存在している。


 天応元年(七八一年)七月三十一日(旧暦七月六日)、「続日本紀」には次のように記録されている。


 秋七月(中略)癸亥みずのとい,駿河國言,富士山下雨灰,灰之所及木葉彫萎


 駿河国で報告があった。富士山から降灰した。灰がかかったところは木の葉が萎れた。(何の捻りもない訳でごめんね)


 まるで電報のような文章のため、規模などが明記されていないが、わざわざ静岡から奈良まで届けられたであろうこの報告が、日本最古の富士山噴火記録である。

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